昨年までの7大会で黄金世代が6勝!
昨年大会は勝みなみが逆転で史上3人目の連覇達成(2022年・第55回大会)
首位と3打差の3位タイで最終日を迎え、最終組の1組前でプレーした前年のチャンピオン、勝みなみ。前半で5つバーディを奪うと、最終組の前半終了時点で、首位タイに申ジエ、勝、山下美夢有が並び、1打差で吉田優利が追う展開に。バック9は前半と異なりスコアが伸びず各選手耐える展開になり、17番でバーディを奪った勝に対して、最終組の申ジエがボギー、吉田優利はダブルボギーを叩いて万事休す。
申と吉田の2人は18番でバーディを奪い意地を見せたものの勝には届かず、逆転で勝が2連覇を達成した。大会連覇は1968~71年、76・77年の樋口久子、2016年にアマとして、17年にプロとして優勝した畑岡奈紗に続く史上3人目の快挙となった。
畑岡奈紗が史上初のアマ優勝! 翌年、連覇を達成(2016年・第49回)
3日目を終えて首位に立ったのは当時高校1年の長野未祈。しかし緊張してスコアを崩すと同じ最終組の柏原明日架も後退。代わって最終組の1組前でプレーした堀琴音が首位に立ったが、11番・12番で連続ボギーを叩くと、5位タイスタートの畑岡奈紗が10番から3連続バーディを決めて逆転。その後、堀が再びリードするも、畑岡は18番でバーディを奪い首位タイでホールアウト。堀は17番をボギー、18番のバーディパットも決め切れず「プロが勝たないといけない」と涙。
畑岡は最年少優勝記録を大幅に更新する17歳263日でアマ優勝を達成、プロに転向した翌年大会も連覇した。
入れられたら入れ返すバチバチの黄金世代対決(2020年・第53回大会)
3日目に6アンダーと一気にスコアを伸ばした原英莉花が、2位の小祝に4打差をつけて勝負は最終日に。前半は互いに1つスコアを伸ばしてバック9に突入。小祝が11番・12番で連続バーディを奪うと原も負けじとバーディを奪い返す。そして13番パー3では1打目でグリーンをとらえられないものの、左手前10ヤードから、58度でチップインを奪い3連続バーディで小祝を突き放す。
その後小祝は15番でバーディを奪うなどプレッシャーをかけ続けたが、原は崩れることなく優勝。意地と意地がぶつかり合った同世代対決は原に軍配が上がった。
"宮里藍世代"が下剋上!?
藍ちゃんフィーバーで過去最多の2万人が駆け付けた(2005年・第38回大会)
最終日は現在でも女子ツアー史上最多となる2万1018人、4日間トータルで4万8677人のギャラリーが駆け付け、大盛り上がりを見せた。ギャラリーたちの目当ては宮里藍だったが、宮里は初日に首位タイに立つと一度も首位を譲ることなく、出場者唯一となるアンダーパーを記録して完全優勝を達成。
大ギャラリーの期待に応えることになったが、20歳3カ月での優勝はそれまでの大会最年少優勝記録を更新する快挙となった。
最強女王の追撃を抑えて諸見里しのぶが涙の優勝(2007年・第40回大会)
3日目終了時点でトップに立った諸見里しのぶだが、追ってきたのは最強女王・不動裕理。最終日に不動がじわじわとその差を詰めていき、11番でバーディを奪うとその差はついに1打差に。諸見里は15番でバーディを奪い2打差に広げるも、17番で下り14メートルの難しいラインのパーパットを残してピンチを迎える。しかしこれを見事に読み切ってパーセーブ。続く最終18番はラフを渡り歩き、4オン2パットのボギーとしながらも辛うじて不動を振り切った。
「2番からは、もう嫌だって感じでした。こんなに一打一打集中して疲れた」と歓喜の涙を流した。
横峯さくらが最終日大爆発もプレーオフで敗れて大号泣(2009年・第42回大会)
3日目を終えて単独首位に立った宮里美香だったが、最終日の1番から3連続ボギーを叩くなどスコアを崩し順位を下げる。代わって4打差の2位タイから出た宋ボベが首位に立つも、7打差5位タイからスタートした横峯さくらが前半32、後半33のビッグスコアを出し、宋とのプレーオフに突入。しかし、プレーオフ1ホール目で横峯は3メートルのバーディパットを外してしまい敗戦。
試合後に横峯は「打ち切れませんでした。ものすごく悔いの残るパッティングをしてしまった。それが、本当に悔しくて…」と話し、クラブハウスに戻ると大号泣した。
連続ボギー、大混戦、再逆転の”宮里美香劇場”(2013年・第46回大会)
5打差をつけた単独首位で最終日を迎えた宮里美香だったが、前半で4つのボギーを叩くと一気に混戦模様に突入。最終組で一緒に回る菊地絵理香が13・14番で連続バーディを奪うと、宮里は14・15番を連続ボギーとして菊地が逆転。しかし菊地は勝負どころの16・17番で連続ボギーを叩いてしまい、再び宮里が首位の座を奪取。宮里は最終ホールを前に、先に上がった佐伯三貴と同スコアだったが、18番で6メートルの難しいバーディパットをねじ込んで優勝。
「前半崩れて混戦にしてしまって、お騒がせしました。でも見ている方は面白かったですよね(笑)」(宮里)
レジェンドたちの感動V
ついにつかんだ栄光岡本綾子が涙の初優勝(1993年・第26回大会)
当時、米国女子ツアーに参戦していた岡本は、日本女子オープンに出場するために一時帰国。3日目終了時点で木村敏美、岡本、村井真由美の3人が首位タイで並んだが、最終日の前半で3ボギーを叩いた岡本が村井を1打差で追う形でバック9に突入。12番でピンチを迎え一度は優勝を諦めかけた岡本だったが、難しいアプローチをカップにねじ込むチップインパーでしのぐと、村井が15番をボギーとして突入したプレーオフを制し岡本が悲願のタイトルを獲得した。
優勝インタビューでは感極まって涙し、「やっぱりゴルファーとして一番の名誉あるタイトル。アメリカに10年以上も行きながら、また日本に帰ってきて。もう…。今は何も言えないですね」とコメント。42歳2カ月は当時の最年長優勝記録だった。
岡本綾子が46歳2カ月の最年長優勝記録更新(1997年・第30回大会)
初日からアンダーパーが1人も出ず、4日間通算でもアンダーパーが8人しか出ない難しいセッティングのなか、2位の具玉姫と1打差の単独首位で最終日を迎えた岡本綾子は、この日11オーバーとスコアを崩した具に対し、1番・2番でバーディを奪うなどリードを広げるも、前年とこの年の賞金女王に輝くなど絶頂期にいた福嶋晃子が追い上げてくる。
しかし福嶋は、5バーディ1イーグルを奪ったものの、4つのボギーと1つのダブルボギーを叩いてしまい、あと一歩届かず。最終日を1オーバーで何とかまとめた岡本が逃げ切って大会2勝目を挙げた。
40年前、今年の開催コースで森口祐子と涂阿玉の激闘(1983年・第16回大会)
パー73で行われ、2日目が雨のため中止となり54Hに短縮となったこの大会、2ラウンド目を終えて4アンダーで首位に並んでいた涂阿玉と森口祐子。最終日は全選手がスコアを崩すなか、日本女子オープン初優勝を目指す2人もスコアを伸ばせずに森口が4オーバーを叩くと、涂は3オーバーに抑えて接戦を制して日本女子オープン初優勝。
その後の大会でも2人はしのぎを削り、同大会通算で涂が3勝、森口が2勝を挙げている。また翌年に全英女子オープンを制することになる岡本綾子が最終日のベストスコアとなるイーブンパーを唯一記録し、4位タイに入った。
6打差をひっくり返した史上最大の逆転勝利(1985年・第15回大会)
3日目を終えて首位に立ったのは、この年の春に韓国人選手として初めて日本ツアー優勝を果たした具玉姫。2位の今堀りつとは1打差、3位タイには3打差をつけて迎えた最終日。具がボギーを先行させたことで早々に首位に立った今堀だったが、バック9では2バーディ6ボギーと大ブレーキ。スコアを伸ばせないなか、森口祐子が4アンダーとスコアを伸ばし、6つあったスコア差を逆転。
今堀は17番でバーディを奪い、先にホールアウトした暫定首位の森口に一度は並んだものの、18番でボギーを叩いて涙。6打差から史上最大の逆転劇となった。
PHOTO/Tadashi Anezaki、Hiroyuki Okazawa、Hiroaki Arihara、Shinji Osawa、小誌写真室
※週刊ゴルフダイジェスト2023年10月10日号「今週開幕、日本女子オープン~18の名場面」より一部抜粋