全英アマ5勝、世界ゴルフの総本山R&Aでセクレタリー(専務理事)を務めたマイケル・ボナラック卿が永眠した。

ボナラック卿の足跡をたどろう。卿は1934年、“サー”称号家系の息子として生まれ、ヘイリーベリー大学で学んだ。熱心だったクリケットからゴルフに目覚め、1952年にジュニア選手権で優勝、1955年にはユース選手権で準優勝。早くも才能は開花した。英国選手権5回、全英アマ5回優勝。

全英オープンでは1968年と1971年にローアマのシルバーメダルに輝き、アマ界最高の栄誉をたたえられた。イングランド代表選手としては100試合以上に出場し、5つのアマチュアチーム選手権でプレー。さらに、世界アマ出場に7回出場、1964年大会で勝利。

アマチュアの英米対抗戦ウォーカーカップには9回出場し、1971年、セントアンドリュース・オールドコースで勝利した時にはキャプテンも務めた。

さらに、卿はプレーヤーとしての実績だけでなく、“実務者”としてもアマチュア界に貢献してきた。1960年、R&Aの会員になった後は、ゴルフ規則をはじめ数々の委員長も歴任。1984~ 99年の15年間セクレタリー、最後の年にはキャプテンに着任した。アマチュア界だけでなく、欧州PGAの名誉会長を務めるなど、プロ界にも貢献。オーガスタナショナルGCの会員でもあり、ルール担当としてマスターズトーナメントをサポートしていた。

キャプテンを退いた後、世界ゴルフランキング委員会の委員長に推され、1998年にはナイトの爵位を授与され、2000年にはゴルフ殿堂入りも果たした。ボナラック卿と一番親しくしていた日本人といえば、R&Aで長くレフェリーを務めた川田太三氏。実は、川田氏をレフェリーの任務に引き入れたのは、卿でもあった。

「1988年、スウェーデンで開催された世界アマ選手権では、レフェリーの数が足りず、日本団長として現地入りしていた自分まで、審判に駆り出されたことがありました。池の多いコースで複雑なルーティングが続き、走り回ってレフェリーの仕事をしていたんです」

「それを見ていたのか、大会終了後にボナラックから一枚のプリントを渡されました。『それに書き込んで送り返せ』と。5カ月後、『レフェリーに採用されたから、今年の全英オープンの火曜日までに来い』と連絡が入り、そこから私の競技委員人生が始まりました」

画像: 世界のゴルフ界で、誰からも慕われ、誰からも信頼されたアマチュア界の偉人、マイケル・ボナラック卿

世界のゴルフ界で、誰からも慕われ、誰からも信頼されたアマチュア界の偉人、マイケル・ボナラック卿

「人柄は威厳がありながらも、誰からも慕われる真のジェントルマンでした。私のなかで比較できる人はいません」(川田氏)。英国ゴルフ界というよりも、世界のゴルフ界に尽力した巨星が88年の生涯を閉じた。合掌。  

※週刊ゴルフダイジェスト2023年10月24日号より(TEXT/Masanori Furukawa PHOTO/Getty Images)

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