「小6でバレーボールをやめて、ゴルフに絞ってやるようになった」(平田)
時松 ゴルフを始めたきっかけは何だったの。
平田 おじいちゃんがけっこうゴルフが好きで、最初は僕のお姉ちゃんのほうにゴルフをやらせたくて練習場に連れて行ってたんですけど、僕が7歳のときに、それについて行ったのがきっかけです。
時松 今でもじいちゃんとゴルフには行くんだ。
平田 僕の母方の叔父さんがティーチングプロをやっていて、その叔父さんとじいちゃんがゴルフに行くときに僕もたまに行ったりします。
時松 じゃあ、7歳からずっとゴルフって感じできたの。
平田 いや。お母さんがママさんバレーやっていたので僕もその関係で小学校からクラブチームみたいなのに入ってバレーボールをやっていました。小学校6年生になるときにバレーボールやめて、それまではゴルフは週に1回か2回練習する感じだったんですけど、それ以降はゴルフに絞ってやるようになったんです。
時松 そのときからプロを目指そうと思ったんだ。
平田 いや、そのときはまだ「プロになりたいなあ」という感じでしたけど、6年生で本格的に始めて、それ以降、ゴルフも上達していくなかではっきり思うようになったのかもしれません。
「勝つときは、全部が上手くいく感じ」(平田)
時松 ところで、今年は5月のミズノオープンで初優勝して、7月にはメジャーの日本プロで2勝目を挙げるなど一気に開眼って感じだけど、何が変わった?
平田 それが、わからないんですよね。
時松 たとえば、勝つときはパッティングがよかったとか。
平田 確かに勝つときは、「入るんちゃうかなあ」って思ったのが入ったりしましたね。全部が上手くいく感じで。
時松 日本プロの恵庭CCは皆、グリーンに苦労していたよね。今夏の猛暑で、芝がもう枯れそうな状態で、グリーンキーパーの方にはそういうなかでも最善の状態に仕上げていただいたと思うけど、グリーン面は軟らかくて速いという、ちょっと選手も混乱する感じだった。でもグリーン面はあれ以上硬くしぼったら完全に枯れるという状態。だから硬くできなかったから。
平田 ヤバかったですね。朝、ちょっと雨が降ったので、それで余計に軟らかくなって。
時松 でも最終日の後半くらいは、ロングパットや苦労していた2メートルくらいも入っていた。何が変わったの?
平田 午前中はずっとタッチが合わなくて3パットもあって、それで後半はシンプルに強く打ったという感じです。
時松 僕も2日目の後半とかは全部オーバーに打っていたけど。僕の場合は、午前中は2ボギー、1ダボでスコアがスコアだから。バーディを取っていかないといけない状況だったから、開き直るしかなかった。
平田 いや、でも僕も本当にあそこは開き直りです。「届かないと入らないから」とキャディと話して、それで強めに打つようにしたのがよかったと思います。
「試合中のインタビューは気にはならなかった」(平田)
時松 まあ、僕の場合は予選落ちで、憲聖は優勝だったから懸かっているものの重みが違うけど(笑)、でも開き直ってどこまで打つことができるかっていうのは大きいと思うよね。
平田 そうですね。
時松 ところで、あの日本プロの最終日のラウンド中にテレビのインタビューが入ったことに賛否があったけど。あれは憲聖的にはどうだった?
平田 15番のティーショットを打ってセカンドに向かう途中、僕と上井(邦浩)さんが、ちょっとだけインタビューされたんです。確かに上井さんはその前のホールでボギーで首位から落ちて、僕がバーディで入れ代わった後だから、上井さんにとっては嫌な流れだったかなと思います。それでインタビューの後に上井さんは池に入れてダボになってしまったので、それでヤフーのコメント欄を見ると、ラウンド中にインタビューすることに関しては否定的なコメントはありましたね。
時松 インタビューは突然来たわけじゃないんでしょ。
平田 はい。前日のホールアウト後に、明日(最終日)の15番あたりでインタビューをさせてもらえるかと聞かれたので、僕は「いいですよ」って言いました。PGAツアーでも、ラウンド中に、マキロイとか有名な選手にインタビューしてますし。
時松 じゃあ、気持ち的に負担を感じることもなかったんだ。
平田 はい。普段のラウンド後のインタビューなんかよりもずっと短いインタビューでしたから、気にはならなかったです。
時松 新しい試みは必要だとは思うけど、でも最終組ではなくて15位くらいにいる選手に聞くのがちょうどいいのかもしれないね。それにしても、そういうところでも冷静に集中できるのが憲聖の強さかもしれないね。
TEXT/Masaaki Furuya
※週刊ゴルフダイジェスト2023年10月31日号「時松プロ ご指名プロと技トーク わかったなんて言えません」より