ツアー解説でおなじみの佐藤信人プロ。今回はプロ3年目でレギュラーツアーへ本格参戦している安森一貴のゴルフやこだわりについて語ってくれた。
画像: 52度と58度のウェッジはピジョンゴルフのP-tuneを使用する25歳の安森一貴

52度と58度のウェッジはピジョンゴルフのP-tuneを使用する25歳の安森一貴

物腰は柔らかで話し方もソフト、でもこだわりは人一倍

ボクは現役時代、感情が表に出ない選手の一人に数えられていました。しかし、実は短気な性格で、一度怒ってしまうとリズムが狂ってしまうので、意識して感情を抑えてプレーしていたのです。こういうタイプはプロには多いはず。

ところが今回、紹介する安森一貴くんは、いつも物腰の柔らかく、話し方もソフトで温厚なイメージ。アスリートには珍しいタイプです。

ゴルフを始めたのは石川遼選手の活躍がきっかけで、祖父に練習場に連れていってもらったこと。レフティの祖父の真正面に立ち、対面でゴルフを覚えました。フィル・ミケルソンが父の前に立って、レフティになったのとちょうど逆のバージョンです。驚かされるのが、6歳の初ラウンドを97回で回ってきたこと。小4からは練習場のインストラクターに師事し、今でも相談する間柄だそうです。この辺にも彼の人柄が表れている気がします。

高校時代には大阪府高校ゴルフ選手権で3位になったくらいで、それほど目立った成績があるわけではありません。関西学院大学に進むも、将来をプロ一本に絞っていたわけではなく、ゴルフ部で活動しつつも並行して就職活動もやっていたそうです。志望はメディア系で、もしかすると一緒にゴルフ番組に携わっていたかもしれません。

ところが大学3年となった18年、関西アマ、関西学生で6位になると、日本学生で3位に。この頃から現実的な目標としてプロゴルファーが視界に入ってきます。そして19年、ミズノオープンのアマチュア予選を1位で通過すると、プロ一本で行こうと決めたようです。ちなみに予選を2位通過したのが、後にアマチュアで日本オープンを制した蟬川泰果くんでした。

その後、19年にプロ宣言。転機となったのが20年のプロテストで、最終テストで落ちたことでした。普通、ここでは技術や体力、あるいはメンタルを見直し、反省するものですが、安森くんの場合は、クラブを見直し、アイアンだけは三浦技研と契約をしていて、それ以外はフリー契約だそうです。

試合に出られない若手プロには、喉から手が出るほど欲しいメーカー契約ですが、彼は自分に合ったクラブを追い求めます。その結果、アイアンは4番アイアンからPWまでが三浦技研のTC‐101、52度と58度のウェッジがピジョンゴルフ、パターがべノック社。いわゆる地クラブを中心に、旧知のクラフトマンと、自分に合ったクラブを追い求め、作り続けているのです。

そして今年はQT12位の資格でレギュラーツアーに参戦、そしてミズノオープンでは3日目まで首位を走り、最終日の1番、6番の簡単なホールでボギーを叩き、経験のない若手選手で万事休すか、と思われてから粘り、平田憲聖くんに逆転されるも3位で全英オープンの出場権を獲得。修学旅行以来、初の海外旅行という全英オープンでは、あと1打で予選通過という粘りを見せてくれました。

何より「厳しい、難しい」という日本人選手のコメントが並ぶなか、「こんなに海外の試合って楽しいんだ」というコメントは安森くんらしいですね。高校時代は王子と呼ばれ、スタートホールに女子が集まったという逸話があるそう。優しいオーラを放つ一方で、初めての優勝争いでの堂々としたプレーぶりを見ても芯の強さを感じます。この秋もうひと踏ん張りして、初シードをつかみ取ってほしいです。

※週刊ゴルフダイジェスト2023年10月17日号「うの目 たかの目 さとうの目」より

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