大学で教える「ゴルフォロジー」
とにかくパワーを感じる人だ。いるとパッとその場が明るくなる。今、至学館大学の学生たちを前にしても、それは変わらない。
足立美都樹は現在、母校の非常勤講師として週1回、ゴルフの授業を行っている。ただのレッスンではない。
社会学を交えた人間形成と自己成長の場である。受講者は全員4年生。学生たちの口からも自然に「ゴルフォロジー」の言葉が出てくるから驚く。
「ゴルフと社会学に共通することを見つけて、学生に伝えていく。スウィングを綺麗にし、スコアを縮めることも大事ですけど、レッスン系はYouTubeで学べばいいと思っています」
さて、授業を覗いてみよう。
「今日のゴルフォロジーは、『期待を捨てる、信頼する』。ゴルフって、自分に期待した瞬間にちょっと違うことが起こる。次、絶対いいスコアが出ると思うとミスしたり、それが18ホール続く。たとえば皆さんも友達、先生、親に期待しすぎて、違うことが起こったりするでしょう。期待することは自分の軸ではなくなること。相手に軸を委ねることになる。日頃から自分軸で考えて行動することです。未来を考えると期待する。今自分がやるべきこと、意識を常に自分の真ん中に。今の意識と決断の延長線上に結果がある。自分がやってきたことに信頼を持ち、いま目の前にあることに集中し積み重ねていく。自分と向き合うことをしっかりやってください」
話す時間は10分程度。そして、ここからボール打ちが始まった。
「練習場で話すからいいんです。もちろん、聞かせるためにテストに出ると言ったりしますし、時間が短くないと頭にも入ってきません」
と新米講師は工夫と試行錯誤をしながらチャレンジしている。
尾崎直道のキャディ
人生のどん底を何度も体験し、「ゴルフォロジー」に生きる。ジェットコースターのような人生とはまさに彼女のことだ。
足立美都樹は、愛知県一宮市生まれ。今年49歳になった。ゴルフは高校時代に始め、すぐにハマった。中京女子大学体育学部体育学科に入学。ゴルフ部のキャプテンを務めた。卒業後、東海ラジオで営業事務を2年。その後NHK名古屋放送局で営業事務を2年。そのうち大学ゴルフ部の顧問から連絡があり、尾崎直道のキャディの話が出た。
「東海クラシックに出たいのでキャディを探していると。在校生にはいないから、私に白羽の矢が。日本で賞金王を取り、PGAでシードを取り、私たちのヒーローだった方です。びっくりしました」
キャディは大学時代のバイト以来。小松シニア(当時花の木GC)で内田袈裟彦のバッグを担ぎ、「厳しい人だと言われていましたが、気に入られて翌年もやったんです。"スーパーケサゴ"と書かれた5番ウッドをもらいました」と言うから、キャディの素養はあったのだろう。尾崎直道のキャディも緊張はしたけれど、夢のような時間で楽しかった。「一期一会のキャディの予定が、秋からの3試合くらいも担ぐ話になりました」
27歳のとき。自身のゴルフに欲も出て、キャディをしながら日本女子アマ出場と国体代表を目指して取り組み実現させた。努力の人でもあるのだ。その頃、大学の先輩、桑原克典からキャディをしてほしいと連絡があった。
尾崎のキャディと並行してやることになった。"大物"プロ2人に、何が気に入られたのかと聞くと「しゃべりじゃないですか」とけむに巻くが、「苦しいときもありました。ラウンド中に上手くいかないとギクシャクする。プロはそこで何か言葉が欲しいんですよ」。
しかし、この経験が糧となった。元来持つコミュニケーション力“コミュ力”に磨きがかかった。
「思っていることを言ってはいけないんだと。プロが欲しい言葉、思い付かないようないい言葉を言うことが身に付いた。昔は主語が『私が』でしたけど、『直道さんが』『桑原さんが』に変わりました。体育大でこんな勝ち気な性格で、人と闘ってしまいがちだった私が、プロを自分に憑依させて考える感じにまでなったんですよ(笑)」
マネジャー兼キャディ
そして、マネジャー業も行うようになる。その才能を見抜いた桑原と05年から契約。しかし年明けすぐ、実家の家業が倒産する。
「明日住む場所をどうするという感じで、30歳でどん底でしたけど、なかなか周りに言えなかった。スポーツしか知らないお嬢さんとして生きてきたので……」
そんなとき、尾崎から「春の中日クラウンズの試合だけは担いでほしい」と連絡が入る。尾崎には、絶対に欲しいタイトル。桑原に断り、バッグを担いだ。そして尾崎は48歳11 カ月で優勝。思い出のキャディとなったのだ。
人脈も経験も、つなげられるのは縁だけではない。自分の選択であり、実力だ。そこからプロ2人に実家倒産の話をし、尾崎の会社でマネジメント業務を本格的に行うことになる。この年の秋、尾崎は米シニアのQTを通過。06年からは東京でマネジャーとして支える予定だった。しかし、尾崎の一言でキャディ業務も兼任するため渡米。
「4人でキャディは回して日米を行き来していたんですけど、大変でした。運転もしましたよ」
マネジャーにはキャディとはまた違うコミュ力が必要だという。
「調整力です。つなぎ役。直道さん、家族、ファン、メディア、事務所……皆が上手く笑顔になるためにはどうするかと。本人を説得するのも私の手腕だと思っていました。そしてミスをしたらすぐに謝り、思っていることや感謝はなるべく口に出す。何よりティーイングエリアに直道さんを何の心配もなく立たせるのが大事ですから」
日米を行き来していた10年に結婚、37 歳のときに息子が誕生した。そこで一旦仕事はやめた。
「でも息子が年中になり働きたいなと思って。マーケティング会社の女性起業セミナーに参加し、そこの男性社長に感銘して、そのままバイトをさせてもらいました」
自分に何ができるかと振り返ったとき、培ってきたコミュ力と調整力を使おうと考えた。
「いい言葉やキャディの経験などをノートに記録していました。まず、ママ友たちに、直道さんや桑原さんに使った手法で言葉を伝えてみると、すごく上手くいったんです。すると知人から、企業向けの講演を頼まれました」
こうして方向性を模索していたところ、進行性の胃がんが発覚する。16年のことだ。
「最初は全摘だと言われて。また人生のどん底です。子育てもあるし、好きな飲食もできないし。ステージ2ですぐに手術しました。おかげさまで、転移もなくて抗がん剤治療もやらなくてよかった。でも同時期に、大親友ががんで亡くなったんです。これはもう本当に自分のやりたいことをやらないといけないと……」
17年に名古屋に帰った。病気と同時に離婚話にもなり、調停を経て離婚。
「両親、姉、兄が助けてくれたり、ミズノの新規直営インドアでバイトをしたり。昨年5年経ち、寛解の状態になったので公表しました。皆さんにも健診に行ってほしいし、未来のことは心配せず、今を、自分の人生を生きることが大事だと伝えたいんです」
そんなとき、プロゴルファーの西脇まあくのマネジメント業務を行う話が出てくる。
「マネジメントの仕事は、もっとできたのでは、という悔しい思いでいましたし、『もしドラ』を読んだりして勉強していたんです。まずはスポンサー候補を図表化して、手分けしてスポンサー依頼をしていくことから始め、今5社付いています。ここで直道さんや桑原さんの名前を出すと説得力が増す。もちろんお二人には了解を得ています。『使っちゃって!』と(笑)」
足立が考える「マネジメント」とは?
マネジメントとは? という問いに足立は、「選手と企業をつないでお金を生むことです。選手の成績は重要ですがそれだけが価値ではない。選手に何が足りないか、お互い話をして、いろいろな方の力を借りて育てる感じです。日本では選手が上でマネジャーが下に思われがち。私はキャディ時代も同等ではないけど対等ではいたいと思っていて、プロともキャディ中はタメ語で話をしていましたし、マネジャー業はいつも隣に選手がいると思うように考え、彼がどう輝けるかを考えていました。その延長にマネジメントがあるんでしょうね。選手には、あなたをスポンサードしてくれる理由は一緒に感動したいからだと言います。プロなんだから感動させるのが仕事、そのキモを忘れてはダメだと。それを社長や社員と分かち合えるかが大事だと。どちらの側の気持ちもくみながら。調整力ですよね」。
足立の積み重ねてきた実践経験が、マネジメント力の源になっている。最近、人生を語ってほしいなどの講演会の依頼も増えてきた。そして大学の非常勤講師の話だ。
「これも直道さんの女性マネジャーだった方からのご縁です。授業では、最後にラウンドするんですけど、個人だけでなくチーム3人で目的と目標を決めます。その後、テストとレポート。前期授業の学生たちの書いたものを見て泣けました。私の言葉が伝わっていたと。授業の話をインターン中に上司に話したとか、ご家族に話したと聞くと嬉しいです。丸腰で社会に出ていく生徒たちに武器を与えたい。社会とつながる勉強をゴルフを通して伝えたいんです」
縁は、大切にしている人間には、パワーとなってつながっていく。
足立の仕事の柱は、ゴルフ、教育、メディアだ。ゴルフに恩返ししたい思いで活動している。今後数人の男子プロのマネジメント業務も決まっている。ゴルフは人生の縮図とも言われるが、自身の人生は今、何ホール目だろうか。
「ゴルフはピンチをチャンスに変えられる。最後長いパットが入ってバーディ、といったこと。アドバンテージは向こうにあるのにまさかと。帳尻が合うのかな」
ゴルフへの恩返し
目標を聞くと、「学生には散々聞いているのに何だろう」と少し考えて、
「本当にご機嫌に生きていたいんですよ。共感できる人たちと感動しながら生きていきたい。ゴルフを普及させたいし、こんなに奥深くて人材が育つスポーツはないと伝えたい。人を残したいし、次世代のために自分が残せることは何だろうと考えています」
数々の壁を乗り越えてきた。
「まだやるべきことがある、私にしかできないこと、役に立てることはある、と考えてきたから乗り越えられた。負けず嫌いもありますね。でも、これだけ愛おしくて大いなるスポーツはないです。16歳から魅了されています」
導かれたようで、自分で選んできた人生。物事を"つなぐ"「ゴルフォロジー」の伝道師となり、最終ホールまで駆け抜ける。(※文中敬称略)
THANKS /ゴルフC大樹 大府 PHOTO/弊社写真室
※週刊ゴルフダイジェスト2023年12月12日号「キャディから『ゴルフォロジー』伝道師へ」より