ツアー解説でおなじみの佐藤信人プロ。今回は18年シーズン以来、実に6年ぶりに欧州ツアーに復帰するマッテオ・マナセロ選手について語ってもらった。
画像: 「これまで地元の声援がプレッシャーだったというマナセロですが、『今は応援がプラスだし、メンタル的にもいい感じだった。10年前の自分とは明らかに変わっている』。パリ五輪では2度目の出場チャンスもあるはずです」と佐藤(写真は16年リオ五輪)

「これまで地元の声援がプレッシャーだったというマナセロですが、『今は応援がプラスだし、メンタル的にもいい感じだった。10年前の自分とは明らかに変わっている』。パリ五輪では2度目の出場チャンスもあるはずです」と佐藤(写真は16年リオ五輪)

一度はゴルフをやめようと思ったことも…

一般には馴染みのない名前かもしれませんが、海外のゴルフに精通したファンからすれば、「あのマナセロが戻ってきたかぁ」と思うはずです。

93年生まれの30歳のイタリア人。マナセロの登場は実にセンセーショナル。彼に常に付いて回るのが最年少記録です。まずは09年、イタリア人で初の全英アマ優勝は16歳2カ月、翌月には全英オープンでローアマを獲得。その翌年、16歳11カ月でマスターズに出場、予選通過も最年少記録でした。10年のイタリアオープンでプロ転向、17歳188日目で迎えたカスティーヨマスターズでの初優勝は、今も残る最年少記録です。

ちなみにプロデビューは17歳17日で、これはセベ・バレステロスの17歳8日に次ぐ記録でした。

16年、リオ五輪でゴルフが112年ぶりに正式競技として実施されました。それに先立ち09年、デンマークのコペンハーゲンで開催されたIOC総会で、ファイナルプレゼンテーションが行われ、ゴルフ界の代表に選ばれたのは、前年にメジャー2勝を挙げたパドレイグ・ハリントン、女子プロゴルフ界からはミッシェル・ウィとスーザン・ペターソン、そしてもう一人が世界アマランク1位にも輝いたマナセロでした。

プロ転向後も11年にマレーシア、12年にシンガポール、13年にはBMW PGA選手権でも最年少優勝と、20歳までに4勝と順調に優勝を重ねます。BMW優勝で、5年シードを獲得するとともに、世界ランクも25位まで上がりました。

しかし、これをピークにスランプに。ゴルフ界がパワー時代に突入したことも大きく影響しました。マナセロの当時の平均飛距離は270ヤード台。飛ばないけれど安定性があることが魅力でしたが、飛距離を求めるうちにフェアウェイキープ率もどんどん下がり、"飛ばずに曲がる"選手に……。

5年シードも18年で切れ、Qスクールに挑みますが、7打足りずに4日目でカット。19年は18試合に出場して予選通過はわずかに1試合、同年のQスクールは予選通過に19打及ばないという散々なものでした。

20年、驚くべきことにマナセロは、2部のチャレンジツアーの出場資格があるにもかかわらず、主戦場に3部ツアーを選びます。しかし2試合出場するも、ここでも予選落ち。その後、コロナ禍でツアーは中断。結果としてこれが、一度はゴルフをやめようと思った彼の転機になったようです。再開後、やはり3部ツアーのイタリアで優勝を飾ります。少しだけ明るい兆しが見えた瞬間でした。

そして昨年、欧州2部のチャレンジツアーで2勝を挙げ、6年ぶりの欧州ツアー復帰です。しかも優勝したのがIOC総会の開かれたコペンハーゲンと地元イタリアと、不思議な縁の巡り合わせ。またこの2勝は22年に結婚した妻がたまたまキャディをした試合でもありました。なんだか新しいドラマが始まった気がします。

※週刊ゴルフダイジェスト2024年1月23日号「うの目 たかの目 さとうの目」より

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