トウヒールバランスのパターといえば「ピン型」とも呼ばれ、ピンゴルフの代名詞。多少、芯を外しても転がりの差が少ないのが最大の特徴だが、現代においても「ピン型」を模したパターは数多く存在する。
その原点はピンゴルフの創業者、カーステン・ソルハイムがパッティングに悩み、自宅のガレージで理想的なパターを求めて試作したことから始まる。
彼が現在のピンゴルフの拠点、アリゾナ州フェニックスに転居する1961年までの間に、カリフォルニア州レッドウッドシティでわずかな期間に手作りされた“レッドウッドシティ”パターが日本にあった!
96年ニューヨークの収集家が11万ドルで手に入れた
1958年、カリフォルニア州のサンフランシスコとサンノゼの中間にあるレッドウッドシティに暮らすGE(ゼネラル・エレクトロニック)社の技術者、カーステン・ソルハイムは画期的ともいえる「1-A」パターを開発した。
ゴルフを始めてみるとパッティングの難しさに気づき「どうしたらクラブによって効率的にミスを改善することができるだろうか」と考えた末に開発したのがこのパターで、多少のミスをしても目標に向かってボールが転がっていくパターだった。
形状は箱型で中央部は空洞、ソール部には左右にスリットが入れられヘッドの中にシャフトが装着されていた。ヘッドの重量をトウとヒールに振り分けることで慣性モーメントが大きくなり、インパクト時に打点がズレてもフェースの向きに変化が少ないため、結果的にミスを軽減する。打つと左右の金属板が共鳴して「ピーン」という打球音がしたことから「PING」と命名された。
カーステン・ソルハイムは61年にGE社のフェニックス(アリゾナ州)に転勤、66年にはトウヒールバランス理論(重量周辺配分)による「アンサー」パターを開発し、67年になると14年間務めたGE社を退社してクラブメーカーを設立する。
フェニックスに転居する61年までの間、レッドウッドシティの自宅ガレージで1本ずつ手作業により製作していたのが“レッドウッドシティ”と名入れされているパターだ。
当然のことだが生産量は少なく、ピンゴルフでも所有していなかったが、96年ニューヨークの収集家が11万ドル(現在のレートで約1500万円)で手に入れたことが分かり、98年に別の12本セットをピンゴルフが同金額の11万ドルで購入している。
この12本がオークションに出され、23年12月に日本の収集家が入手。今回、特別に見せてもらえることになった。
「1-A」タイプは6本あり、ヘッドのソール側には「REDWOOD CITY,CALIF」と地名が入れられ、ピンゴルフ設立以前だということが分かる。
ソール形状に微妙な違いがあり重量配分を試行錯誤していたことが想像される。
フランジを付けたモデルは全部で6種類あり形状から3種類ずつに分類できる。
同じヘッドでもシャフトの入り方、シャフトの曲がりはすべて異なる。
フランジ付きのモデルでもヘッドの大きさ、シャフトの装着位置でモデル名が異なる。
撮影・文/吉川丈雄(特別編集委員)、協力/國江仙嗣(クラブ収集家)
※週刊ゴルフダイジェスト2024年1月30日号「レッドウッドシティ」より