昨シーズンのコーンフェリーツアー(下部ツアー)でトップ30に入り今季PGAツアーに昇格したルーキー、ジェイク・ナップがメキシコオープン at ヴィダンタで初優勝を飾った。名門UCLAのゴルフ部出身ながら29歳になるまで戦う場所を求めカナダやコーンフェリーなどを渡り歩いた苦労人。第2ラウンドで63をマークし後続に4打差をつけトップに立ったときにはまだ勝利を決めたわけでもないのに感極まって涙するシーンも見られた。

21年の秋から22年の春にかけおよそ9カ月、ナップはナイトクラブの警備員として働いていた。そのときの心境は推しはかるべしだが彼のゴルフ人生が決して順調ではなかったかを物語っている。あれから2年、まさか夢の舞台でトロフィーを掲げることになるとは。

「毎週末PGAツアーの舞台に上がって旅をしながらゴルフで生計を立てることができるなんて、どれほど幸せなことかを実感しています」

ゴルフができる喜び。最高峰のツアーで戦う喜び。その有り難みを誰よりも切実に感じていた彼は決戦前夜(土曜日)もいつものようにトレーニングに励み23年4月にガンのため85歳で亡くなった最愛の祖父ゴードン・ボウリーさんにメッセージを送った。

画像: PGAツアー「メキシコオープンatヴィダンタ」を制したジェイク・ナップ(写真/Getty Images)

PGAツアー「メキシコオープンatヴィダンタ」を制したジェイク・ナップ(写真/Getty Images)

「祖父は僕が毎回ラウンド後に内容や感想を話していた相手。亡くなった今も毎週メッセージを送り続けています」

ボウリーさんはナップの故郷南カリフォルニアでゴルフをはじめとした青年スポーツを推進した人物。2人はかたい絆で結ばれおり、昨年祖父が亡くなったときナップは左上腕二頭筋の下に祖父のイニシャル『GSFB』のタトゥーを刻んだ。その場所に入れたのはスウィングのフォロースルーで見えるようにするためだ。

リッキー・ファウラーの左腕にも祖父の名前(田中豊)が漢字のタトゥーで刻まれているがナップもまた然り。厳しい世界に生きるゴルファーにとって心の拠りどころは必要なのだ。

祖父の話になると声を詰まらせ「ごめんなさい」と瞳を潤ませたナップ。「僕の人生に祖父母が深く関わってくれたことに感謝しています」

ところでナップのゴルフに関する一番の思い出は06年、本人が11歳のときにさかのぼる。自宅近くでおこなわれたWGC-アクセンチュア・マッチプレー選手権でタイガー・ウッズがマッチプレー史上最多差の9&8でスティーブン・エイムスを破った1戦を観戦していた少年に思いもよらぬ幸運が訪れる。

タイガーが勝った後、ラウンド中に使用していたウィニングボールを当時キャディだったスティーブ・ウィリアムスがナップに向かって投げてくれたのだ。大切な思い出のボールはいまでも自宅の机の上に飾られている。

もしかしたらいまごろ意外にマメなタイガーから祝福のメッセージが届いているかもしれない。

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