日本プロゴルフ殿堂は、第10回殿堂入り顕彰者を3名選出したと発表した。
画像: 1942年の関東プロで初優勝し、52年に日本プロで勝利した井上清次が日本プロゴルフ殿堂の「レジェンド部門」を受賞

1942年の関東プロで初優勝し、52年に日本プロで勝利した井上清次が日本プロゴルフ殿堂の「レジェンド部門」を受賞

殿堂入りを顕彰する式典は3月8日、「ジャパンゴルフフェア」で行われる

1972年以前に活躍し、功績を残したプレーヤーに贈る「レジェンド部門」では井上清次が受賞。井上は神奈川県出身。生家近くの程ヶ谷CCでキャディの後プロの道へ。35年プロ入り。

38年の日本プロ決勝で戸田藤一郎に敗れるも、42年の関東プロで初優勝。52年には当時ホームコースだった相模CCで陳清水を下して日本プロ勝利。その後、岐阜関CCに造成時から関わり、終生を過ごした。

この地で長男の幸一(ツアー2勝)やJLPGA永久シード選手の森口祐子(18年殿堂入り)を育て、名伯楽として名を馳せた。

余談だが、記者も井上を取材するためカメラマンと岐阜関を訪ねたことがある。そのとき、修業時代の森口と一緒にラウンドしてくれと言われた。全身がバネのような森口の素質にも驚いたが、何より井上の「将来楽しみだよ」とわが子を慈いつくしむような破顔が忘れられない。92年、76歳で鬼籍に入る。

73年以降に活躍した選手に贈る「プレーヤー部門」では日蔭温子(69)、倉本昌弘(68)の2人が選出された。

日蔭は岩手県出身。中学卒業後に集団就職のような形で上京後、一度故郷へ戻るも、その後ハローワークで見つけた武蔵CCへ就職したことが日蔭の行く道を決定した。20歳でプロテスト合格後、80年ツアー初勝利。82年から米女子ツアーに5年間参戦し、最高位は4位だった。

国内ツアーに専心した87年には6勝を挙げ、惜しくも賞金女王は逃したが2位。日本女子オープン2勝。冷静なゲーム運びや小技の確かさなどから、女子ツアーで非常に人気のある選手だった。90年代には大学客員教授などゴルフの普及に二足のわらじも。

倉本は広島県出身。ジュニア時代から天才ぶりを発揮し、日大時代は日本学生4連覇、日本アマでは3勝。80年にはアマでツアー優勝も果たしている。81年プロ入り。82年全英オープン4位は未だ日本選手歴代最高位で、同年の日本プロでは初出場初優勝の快挙。92年に25勝を達成し、永久シードも獲得した。

JGTO設立をリードし、日本プロゴルフ協会会長も8年間務めた。

なお、殿堂入りを顕彰する式典は3月8日、パシフィコ横浜での「ジャパンゴルフフェア」会場で行われるが、ひとつ残念なことは、同殿堂はウェブ内だけに存在し、“箱"がないことだろう。

JGAゴルフミュージアムと一緒になればいいと思うのだが……。

※週刊ゴルフダイジェスト2024年2月27日&3月5日合併号「バック9」より

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