同コースは1928年開場。
創業者である大倉喜七郎男爵は当初、牧場を造る計画だったが、岩盤だらけで動物が蹄ひづめを傷めるのでゴルフ場にした。それでも芝に必要な大量の土を小田原から船で運んで盛り土している。
設計は日本ゴルフ黎明期に活躍し、JGA(日本ゴルフ協会)設立に功のあった大谷光明だ。大谷は京都西本願寺派21世の門主家系に生まれ、法主の後継となったが後に仏門を離れた。それは英国留学中にゴルフを覚えたことが原因で、帰国してからルール翻訳などの世界でけん引者となった。
その後1936年に富士Cがホテルとともに開場。設計はあの日本のゴルフコース設計界の父とも言うべきチャールズ・H・アリソン。1961年に世界アマを開催し、今でも日本を代表する名門コースとして知られるが、富士Cより大島Cの"小さな宝石"然とした佇まいが好きという好事家も多い。
開場から96年が経ち、育ちすぎた松の木を伐採→景観がすっきり!
大島Cも開場から96年が経ち、樹木も大きく育った。樹木は高く密集して育つとゴルフコースに一番大切な芝が生育しにくくなる。風通しが悪くなり、日陰をつくることで芝の光合成を妨げる。
また景観においてもメモラビリティ(記憶度)を阻害する。海の見えないシーサイドコースになったりするのだ。
しかし同コースは国立公園内にあり、樹木を恣意的に切ってはならないという。なかでも4番ホールのフェアウェイ左にある大きな松が右に張り出し、本来のプレールートを阻害し、景観も台無しにしていた。
ところがその松が松くい虫にやられ、切らざるを得なくなったという。
結果、明快なプレールートが確保され、景観も一変した。すぐ下の海岸に押し寄せる波が砕けるさまに、プレーする手は止まり、心が洗われる思いだ。
同時にグリーン周りの藪も取り払った。
「米国の名門コースの多くが開場当時のコース回帰を目指し改修していますが、この大島4番を見れば回帰・改修の意味がよく理解できると思います」
とは、世界で400あまりの名コースを行脚する、JGAゴルフミュージアム参与の武居振一氏だ。
同コースでは4番のほか、6番でも松くい虫のおかげで(!?)、グリーン周りの松と藪を払い、海が見えるようになった。
"新生"大島Cを味わってはいかが?
※週刊ゴルフダイジェスト2024年3月26日号「バック9」より