一昨年4月に、筑波大学社会人大学院の”女子大生”になった週刊ゴルフダイジェスト編集部Y。いよいよ修士論文について語りたいと思う。今年に入りボロボロの状態ではあったが無事提出。ここにくるまでには紆余曲折あった。
画像: 多大なるご協力をいただいた日本障害者ゴルフ協会の皆さん(昨年の日本障害者ゴルフオープンにて)。障害者ゴルフ自体の認知がもっと広まるようにしていきたい

多大なるご協力をいただいた日本障害者ゴルフ協会の皆さん(昨年の日本障害者ゴルフオープンにて)。障害者ゴルフ自体の認知がもっと広まるようにしていきたい

修士論文を甘く見ちゃいけない!

修士論文は、2年間の大学院生活の集大成である。数十年前、最初の大学生活の卒業論文の記憶も薄れている自分にとって(フランス革命時代のファッションと文化・思想の関連について……でした……)、大学院の先輩方の修士論文を読むたびに、頭がくらくらしていた。自分にこんなものが書けるのかと。

入学時は、障害者が行うリハビリテーションとして、ゴルフというスポーツは有用に違いないと考え、それを研究・証明するために、アンケートを取ったり、ギアーズなどで実際の動きを分析したりしたいなあと考えていた。このざっくり感と「広く浅く」思考するクセがついている自分の甘さを痛感させられた。

まずは1年時から行ってきた先行研究の調査だ。研究というものは、今までの研究の積み重ねの上にある。先行研究から学んだり、ヒントを得たりすることはとても大事なこと。だから研究者たちは、日々論文を何本も読むのだ。現代の文献検索はインターネット検索が主であり、キーワードを入れて膨大な資料のなかから選び出す。デジタル化は研究者にとって便利になったのか、何らかを取りこぼしてしまうこともあるのか。いずれにせよ“道具”として使いこなすべし。ポイントはキーワードの入れ方だ。

私は、日本語と英語の文献を検索しまくった。日本の文献でなかなか該当するものは少なく、車椅子バスケの研究は散見されたがゴルフの「障害者スポーツ」としての認知度自体がまだまだ低いのだなあと感じる。海外の文献では、ここ10年くらいで、障害者に対するゴルフというスポーツのさまざまな効果に関する研究が増えているのがわかる。

結果、先行研究が少ないのだから、障害者ゴルフの全体的な傾向を見ることがまず必要ではないかと感じ、また世界一のゴルフ大国アメリカと比較することで、日本の課題もより見えてくるのではないかと研究を進めることにした。日本障害者ゴルフ協会の代表理事に相談すると快く「協力しますよ」と返答をいただき、アメリカの障害者ゴルフ団体の事務局長にもメールで依頼してくれた。

さて、研究調査には信頼性と妥当性が必要である。研究計画を立てるところから常に考え、アンケートを作成する際にもこれらを検討しながら行う。そして大学などの倫理審査を通して研究を開始する。多くの研究は、これらの手続きを真摯に行っているのである。

私の日米障害者ゴルファーへのアンケート調査は「量的研究」と呼ばれるものである。どれだけ数を集められるかがキモ。Webアンケートを中心に郵送や手渡しも含めて頑張った。日本の皆さんのご協力に感謝しながら、アメリカからの反応が悪いことに日々気を揉んだ。やはり直接顔を見てお願いできるかどうかは重要なのだろうと思いながら、途中、女性障害者ゴルファーがとにかく少ないことが気になり始め、第二研究として、女性ゴルファーへのインタビュー調査を追加して行うことを決めた。これは「質的研究」と言われるものである。時間がないなかではあったが、このような立場で、このような調査研究を行う機会はもう二度とないかもしれないと考え、第二研究の倫理審査も追加して、頑張っていくことに決めたのだ。

私の日米障害者ゴルファーへのアンケート調査は「量的研究」と呼ばれるものである。どれだけ数を集められるかがキモ。Webアンケートを中心に郵送や手渡しも含めて頑張った。日本の皆さんのご協力に感謝しながら、アメリカからの反応が悪いことに日々気を揉んだ。やはり直接顔を見てお願いできるかどうかは重要なのだろうと思いながら、途中、女性障害者ゴルファーがとにかく少ないことが気になり始め、第二研究として、女性ゴルファーへのインタビュー調査を追加して行うことを決めた。これは「質的研究」と言われるものである。時間がないなかではあったが、このような立場で、このような調査研究を行う機会はもう二度とないかもしれないと考え、第二研究の倫理審査も追加して、頑張っていくことに決めたのだ。

こうして私が進めた研究は、「身体障害者がゴルフを継続する要因を探る~日米競技ゴルファーと日本の女性ゴルファーの実態調査から~」。内容詳細は、倫理的なこともあり控えるが、準備、調査以上に、分析、執筆で怒涛の年末年始を過ごすことになってしまった。

画像: アンケートWeb版はグーグルフォームで作成。こちらは英語版の一部。デジタル化で、調査はしやすくなった半面、インターネットの波に埋もれてしまうことがあるのかもしれない

アンケートWeb版はグーグルフォームで作成。こちらは英語版の一部。デジタル化で、調査はしやすくなった半面、インターネットの波に埋もれてしまうことがあるのかもしれない

画像: 昨年のアダプティブオープンの様子。編集Yも現地に赴いた(撮影/増田保雄)

昨年のアダプティブオープンの様子。編集Yも現地に赴いた(撮影/増田保雄)

まず、自分の”ギリギリ人間“ぶりが浮き彫りに。夏休みの宿題もテスト勉強も、残り1週間を切ってからが勝負と言わんばかりの詰込み行動をしてきた自分が情けない。この性質が長年週刊誌編集に携わり助長されている。また、まとめる際に、ただ結果を述べるのではなく、先行研究をもとに論じることが必要なのだが、長年染みついたクセみたいなものは恐ろしい。”読ませる“ことを意識して、何となく感情的な構成や表現も使ってしまう。

極めつけは、デジタルソフト使用の未熟ぶり。ワードの使い方さえ、わかっているようでわかっていない。改めてインターネットで使い方を探しながら文書を作成し、最終的には知人やゼミ同期の皆さんの力を借りて、提出文書を整える羽目に(いや、トホホ……なのは、付き合わされた皆さんです)。そして、提出締め切りの15分前に提出したのだった――。

昔は、今のようなweb上の提出ではなく、紙にプリントアウトして大学の窓口に直接提出する形だったそうで……いろいろなドラマがあったらしい。最後の数日は大学に(勝手に)泊まり込んで執筆したり、電車が止まったり、プリントが上手くいかず、担当教授が事務局と提出延長の交渉をしてくれたり(そのため、提出日は指導教諭が校内に待機していたそうです)、ドタバタ劇は聞くぶんには面白い。でも、当人はきっと、生きた心地もしなかったはず。パソコンの前で、一人ドタバタ劇を演じていた私にはよーくわかる。15分前に提出した私は、今回、一番最後だったのだろうか。 そのうち誰かに聞いてみたいと思う。

さて、何とか提出はしたものの、最終発表という大仕事が待っている。聞くところによると、修士論文の最終発表(口頭試験)は、自分ひとりと先生たちが1~3人で個別に行うことが多いらしいが、私たちは同じ学科の1、2年生全員の前での7分間の発表と、それに対する先生方との質疑応答、という形式。皆の前での発表は、恥ずかしい部分もあるけれど、全体の制限時間もあるし、先生方も詰問はしないはず……と密かに祈りながら、2年間の集大成として、自分が今回の研究で得たこと、伝えたいことを発表しよう、と意気込んだ。

ところで、私たちのゼミは2週間に1度オンラインで行われる。筑波大学本体の学生さんたちとも一緒にゼミを行うのであるが、皆さんとても積極的で優秀で、いつもとても勉強になってきた。最終発表の前にも、ゼミで予行演習を行ったが、私はなんと約20分もかかってしまった。ここから内容を精査し、時間内に終わるよう何度もひとりで練習し、いよいよ最終発表当日を迎えた――。

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