リハビリテーションとは何か?
これまでの2年間、修士論文に関する発表を、文献研究発表、構想発表、中間発表と今回の計4回行ってきた。何回行っても今までの人生で感じたことのない種類の緊張感で、発表の制限時間を知らせる「チーン」「チンチーン」というベルの音が夢に出てきたほど。最終発表3日前のゼミの予行演習で20分かかった内容を7分に縮め、発表メモを作り(目の老化のためパソコンの画面は見づらく、当然文字数は大きく! )、家では大声で、電車の中ではブツブツ……と練習を重ねた。周りから見れば“変なおばさん”だったに違いない。
最終発表の日
同期たちが発表する研究に感じ入っているうちに自分の番を迎えた。今回も手のひらに「人」という字を3回書いて飲み込むフリ。迷信かもしれないけどやっぱりこれは落ち着く行為だと思う。
結果、10秒ほどオーバーしたけれど、あっという間に終わった。先生方からの質問にも一応答えられたと思う。その後、別室での最終審議を終えたリーダーの先生からの「皆さん、たぶん大丈夫でしょう。お疲れさまでした」のお言葉。ほっと胸をなでおろしたのだった。
改めて、リハビリテーションとは何か、大学院とは何かを考えてみた。
ここで私の同期を紹介したい。修了生22名は年齢・性別・職業はバラバラで皆とても個性的だ。各人それぞれ悩みながらも仲間で支え合いながら、修士論文を書き上げた。この場で全員を紹介したいがスペースに限りがあるので、同じゼミで“締め切りギリギリ女”の私を助けてくれた3名を紹介する。クールな理学療法士、齋藤裕子さん、お茶目な管理栄養士、菊池有利子さん、優しい理学療法士、成岡正基さんである。
共通するのはとても根が真面目だということ。そんなの当たり前だと思われる方もいるかもしれないけれど、とても大事なことだと思う。この3人に修了にあたり2つの質問をしてみた。
Q:あなたにとってリハビリテーションとは?
齋藤さん:「その子ども、その家族が、自分らしく生きるためのツールのひとつであって、我々は黒子だと思っています」
菊池さん:「いわゆる『障害』のある方だけでなく、誰にとってもよりよく生きられる状態になるためのアプローチ」
成岡さん:「どれほどの逆境にあっても、希望を失わず、可能性を模索する力」
入学してすぐの授業で、職業リハビリテーションがご専門の八重田淳先生が話をされた言葉を思い出す。
「私自身の人生こそ『リハビリテーション』という分野の学問に救われました。リハビリテーションとは何か、皆さんも自問自答し続けてください」
私は、自分の仕事や人間の力を信じてみたい、生き方の見直しをしたい……と思い大学院に通う決心をした。リハビリテーションとは何か、考え続けていた。ちょうどその頃、実家に帰省したとき、片麻痺障害者である母は、周りの言動に対して感じることが増えたらしく「私は助けられたいのではない。信じて見守ってほしい」と言っていた。リハビリテーションとは、人の権利や名誉、健康、人生の復活のため、先人に学び、多角的な視点を持ち、人と人をつなぐもの――このとき感じたことに今も大きく変わりはない。そして「つなぐこと」という言葉が私のなかではより大きくなっている。
「リカレント教育」も時代のキーワードです。いくつになっても学びは楽しい。学校大好きだった方も学校嫌いだった方も、大人の学校は自由です。
療養と日常、過去と現在と未来、そして、人と人をつなぐ――。
社会人大学院に通うこと自体も似ているのではないか。仕事や日常と学び、過去と現在と未来の研究、人と人をつなぐこと。3人へのもう1つの質問はこれだ。
Q:あなたにとって大学院とは?
齋藤さん:「自分に没頭できる創造性のある空間。仲間と達成感を共有できる空間」
菊池さん:「月並みですが、山。険しかったけど、道中でたくさんの人と出会い、いろいろな発見がありました。登りきった爽快感は素晴らしく、そしてまだまだ世界は広がっていると知ってしまいました」
成岡さん:「まさにリハビリテーションそのもの。自分の未熟さを目の当たりにしながらも、前進するための可能性を追求できる場所」
修了式では先生方が「この日は終わりではない。始まりです」と口にされた。
「Just Keep Going」
世界の舞台を目標とし挑戦し続ける若手プロ、金谷拓実と中島啓太がやり取りしていた言葉だ。大学院での学びも、ここにある。同期たちはこれから、学会発表、論文発表の準備をし、博士課程に進む者、転職する者、自身の職場に持ち帰って何かの形とする者、それぞれの道で新しいスタートラインに立つ。
私も、ゴルフとすべて、障害者と健常者、研究とビジネス、世界と日本、各地域などを「つなげる」存在になれるよう、また、つながりを広げ、この学びを仕事はもちろん、自分の人生にも生かしていけるよう、一歩ずつ進んでいきたい。それにしても、ゴルフの魅力をこんなに考えたことはあっただろうか、と感じる日々だった。
修了式後の謝恩会で、数人から「ゴルフ、興味持ちました」「今度一緒にラウンドしましょう」と言っていただけた。先生方からも「実は、宮里藍ちゃんのサイン入りのキャディバッグ持ってるんですよ。時間ができたらまた……」「アメリカの大学に居た頃、少しだけプレーしたことあるんですよ。あちらは安いよね」などと言っていただけた。私の最終発表を聞いて、学生時代に安いゴルフセットを買って毎週のように安い早朝にコースに通っていたことを思い出し「生涯スポーツとしても魅力あるスポーツだということが改めてわかったので、機会があったら再開してみようと思いました」と後にメールをくださった先生もいる。そして指導教員である川間健之介先生(専門は特別支援教育、運動障害リハビリテーション等)からはご挨拶のなかで「皆それぞれやりたいことがある中でどうサポートすべきか……私はゴルフなどまったく知らなかったので。でも障害者ゴルフの普及を願います」と言っていただいた。図らずも“ゴルフ伝道者”となった私にとって、とても嬉しい言葉の数々。
大学で「ゴルフの人」と呼ばれて2年。接待、金持ちスポーツなど、皆のゴルフに対するイメージを少しは変えることができたでしょうか……。
今後また、先生方にしっかりお話をうかがったり、文章にしていただいたりして、雑誌で紹介する機会もつくりたいと思う。ゴルフは、肢体不自由者だけでなく、視覚、聴覚障害、発達障害、精神障害等の方々、また、認知症の方、高齢者全般に有用な要素があると考えるし、地域リハビリテーション、職業リハビリテーションの分野にも関連づけられることはあるはずだ。
それだけゴルフには力があると思う。
私が(勝手に)尊敬する編集者の方が”何度も読み返す本“として紹介していた『社交する人間』(山崎正和、中公文庫)のなかに、「人間が社交を求めるのはたんに楽しみのためでもなく、ましてただ孤独を恐れるからではない。それはむしろ社交が人間の意識を生み、自律的な個人を育てるのと同じ原理によって、いいかえれば個人化とまさに同じ過程のなかから発生していたからである」という一文がある。「社交の場」として語られることも多いゴルフの一面につながる気がする。
今現在求められているインクルーシブ社会、共生社会に向けて、ゴルフというスポーツを通して発信できることがあるはずだ。一般ゴルファー、コース、そしてゴルフ界に向けても「ゴルフ」および「障害者ゴルフ」の伝道者となり、じわじわとその魅力を伝えながら、ときにはビジネスの可能性を探っていきたい。
障害のある方の生きづらさ、それ以上に努力と勇気を感じる日々。さまざまな方々に出会い多くのことを学びました!
もう女子大生ではなくなることや、学割を使えないことは残念だけれど、これからも、ゴルフというスポーツに誇りを持ち、緑のなかで仲間とともにスコーン! と18ホール楽しんで、19番ホールでワイワイとゴルフ談義に花を咲かせていきたいと思う。