プロの道を諦めたらゴルフが楽しくなった
初めて田中さんがクラブを握ったのは5歳。練習場に通う祖父についていったのがきっかけだ。そこでスクールを開いていたのが亀田八寿四プロ。亀田愛里プロのお父さんだ。
「9時から3時のハーフスウィング、テニスラケットを使いフェース面を意識しての素振り、肩にクラブを担いでのショルダーターン……基本という基本は、すべて亀田先生に教わったもので、今でも続けている練習法です」
ジュニア時代は特に輝かしい記録はない。プロ志望の同世代のレベルと、そうした親子の"熱"に圧倒されたこともある、漠然とプロを夢見る少女だった。
「日大ゴルフ部を選んだのは、高校が付属だったため。プロの夢は、大学3年で自分のレベルからきっぱり諦めました。でも不思議なもので、諦めた途端に成績は出るし、何よりゴルフがより一層楽しくなったんです」
学生時代の最高成績となった日本女子学生3位は、プロを諦めた大学4年時の記録だ。
「成績を出さなければならないという呪縛から解放されたからなんでしょうか?(笑)」
卒業後は一般企業に就職。22年に念願のクラチャンになると、日本ミッド女子アマで優勝争いを演じ5位入賞を果たす。この大会で優勝したのが久邇CCの近賀博子さんだ。
「博子さんは自然に楽しそうに、ゴルフと付き合っています。"ゴルフを華麗に着こなす"感じです。しかも強い。ゴルファーとしても、女性としても憧れの存在です」
これを機に、25歳以上が出場できるミッドアマ優勝が目標になった。実はこれと前後して、新卒で入社した会社を退職。練習時間を増やし、もっとゴルフ漬けになりたいという思いからだ。
ところが、「限られた時間の中で工夫しながら楽しんでゴルフのことを考えるのが、自分には向いているみたいです。それで4月から再び一般企業に就職します(笑)」
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1Wは230Yと競い合う男性のトップアマとは30Yほどの差がある田中さんが、どうしてクラブチャンピオンになれたのか。その秘訣は2024年5月号の「月刊ゴルフダイジェスト」かMyゴルフダイジェストで是非チェックください!
取材・文/大羽賢二
カメラ/増田保雄
撮影協力/大宮国際カントリークラブ、東宝調布スポーツパーク
※田中さんにはボランティアとして登場していただきました