遊びをせんとや生まれけむ
ーー「遊びという道草喰わなければ、人生もゴルフもおもしろくなりませんわ。大いに道草喰いなはれ」
あるスポーツ新聞に、誌上レッスンを連載したときのタイトルが「ゴルフは道草や」でした。今、プロ生活50年を振り返って、つくづくそう思うてます。ゴルフの技術を身につけるにしても、まっすぐ一本道で自分のスウィングを確立した人なんかなんぼもいません。帝王のニクラスさんや、タイガー・ウッズなどの天才はそうかもしれませんが、少なくともボクを始め、ボクの知ってる人やらは何らかの紆余曲折があってこそ、自分のゴルフをつくれたと思っています。
そもそも基本いうのは、ボクに言わせれば、その人の身の丈(身体のサイズではなしに)に合わせて自分で習得するもんやと思っています。ボクの「五角形スイング」は両肘を曲げて、手首をなるだけ使わずボールの正確性を優先させたスウィングです。こんなもん、世界中のレッスン書のどこにも載ってません。基本いうものがあって、そこにあてはめてつくっていったものでもありません。中学卒業して就職したゴルフ場の先輩達の振りを、見よう見真似で覚え、さらに自分の身の丈に合ったスウィングへ、いわば道草食いながら、遊びながらつくっていったスウィングです。
クルマでのハンドルの“遊び”と同じや思ってます。遊びがなかったら窮屈でスムーズな運転などできんでしょう。ゴルフも人生もそうやないですか。会社入って脇目も振らず仕事一筋で、体こわしたら何にもなりません。奥さんに隠れて遊んでヤケドもする(笑)。いやボクはヤケドまでいきませんでしたよ(笑)。道草やいう潤いがなければ、長い人生やっていけません。その昔、後白河法皇も言うてます。「遊びをせんとや生まれけむ」って。
人として「偉く」なれ
ーー「試合で優勝することは素晴らしいことなんやけど、人間として“偉い”は別なんや」
ボクは挨拶いうんが、人としてのマナーの基本や思うています。それは人との接するための潤滑油であり、同時に自分が気持ちよくなるための方法でもあるんですよ。朝、目覚めたら、まず家族へ「おはよう」と声をかけますやん。これはご飯つくってくれる嫁さんに感謝の気持ちもありますが、同時に自分が声出すことで、気分よくなる方法でもあるんです。自宅近くを走りに出てや、人に会い一言挨拶して笑顔でももらおうものなら、気分よく走れるではないですか。
試合に出てクラブハウスでも、挨拶できないプロもいます。ボクは気づいた時点で、本人ではなしにグループならそのリーダーに注意もします。たった一言の挨拶でお互い気分よくなるこんな便利なことをなぜ使わんのか、と。若い、ボクなど知らないプロなどは恥ずかしい気持ちもあるかもしれません。しかし、プロである以上、人前に出る商売、そんなことはいってられません。
もうひとつ、サインの問題や。人気選手、優勝回数の多い選手にファンからのサインが多くなるのは当たり前のこと。ところが、強くなるに従って、天狗になるというか、サインを無視する選手もいるんです。一体、誰のおかげでメシを食わせてもらっているんやといいたい。ファンがあってこそ、スポンサーもつき、トーナメントが開催されているわけですやろ。試合がなければ、ただ陽に焼けたオヤジです。もし忙しい時なら、いちばん前の一人にサインし、また後でねいうのがマナーでしょう。ゴルファーとして優れてるのにやね、人として優れていないことが例に多すぎて困ったことです。
文/古川正則(ゴルフダイジェスト特別編集委員)