「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。「週刊ゴルフダイジェスト」の2024年5月21日号では、各界で活躍するさまざまなゴルファーの「心に残った忘れられない1打」を聞いている。「みんゴル」では諸星裕JGTO会長と、北村晴男弁護士を紹介していく。

「将来の義父とのラウンドは高麗グリーンに手こずりました」

1978年5月、兵庫県の三田GC(18H・6496Y・P72)でのことです。アメリカは5月末から8月下旬まで夏休みになるので日本に帰国。理由は、将来の伴侶となる女性の父親に挨拶をするためでもありました。彼女の父親は三田GCのキャプテンを務め、週末は必ずゴルフ場に行き家に不在なことから「ゴルファーとは結婚しない」と決めていた彼女でしたが、その父親に「翌日、ゴルフをしよう」と言われ行くことになりました。

グリーンは高麗芝で2オンしても4パットの連続。一方、飛距離の出ない後の義父は3オン1パットの快進撃。ちなみに彼はHC6、私は5でしたが、アメリカでゴルフを始めた私にとって高麗グリーンは初めてだったのでかなり手こずりました。最終9番ホールはパー3で164ヤードだったと記憶しています。7番で完璧なショットを打ったつもりでしたが、まんじゅう形のグリーンで跳ねてOBに。義父は3Wでバンカーに入れるも、そこから寄せるというショートゲームの達人ぶりを発揮。

プレー中に「勝っていいのか、負けたほうがいいのか」と葛藤がありましたが、プレー後に「腕前は良い、マナーも人間的にも良い」と晴れて結婚の許しを得ました。このOBの1打は強く心に焼き付いています。

画像: 義父とプレーした三田GCの9番ではOBになってしまった

義父とプレーした三田GCの9番ではOBになってしまった

結婚後、ミネソタ州立大セントクラウド校で助教授として教壇に立っていたときのことです。ワピカーダGC(18H・6689Y・P72)の5番ホール(143Y・P3)でホールインワンをしたのですが、2週間後に同じホールで再びホールインワンを達成したのも思い出です。2番ホール左サイドの家を購入して住んでいましたが、プールにはよくボールが飛び込んできましたし、ある朝、ガラスが割れキッチンのトースター横にボールがあった、ということもありました。

画像: 州立大助教授時代はワピカーダGC2番ホールの右から5番目の家に住んでいて、ボールが打ち込まれたことも

州立大助教授時代はワピカーダGC2番ホールの右から5番目の家に住んでいて、ボールが打ち込まれたことも

画像: ワピカーダGCでは同じホールで2回ホールインワンを達成している

ワピカーダGCでは同じホールで2回ホールインワンを達成している

カリフォルニアのハーフムーンベイGLオールドコース(18H・7001Y・P72)でのことも忘れられません。ここの18番ホール(405Y・P4 )は、右が太平洋というホール。グリーン左のホテル前では多くの客がくつろいでいました。250ヤード先のフェアウェイには海から入り組んだ崖があり、その手前にボールを落とし、2打目でグリーンを狙うという難しいホールです。1打目を狙い通りに打てて、残りは約160ヤード。2打目もナイスショットでピンに1メートルほどだと確信しながらグリーンに上がると、なぜかボールがありません。ギャラリーと化したホテルの客が笑いながら指さす方向を見ると、幼い少年がボールを持っているではありませんか。「ボールを返して」と言っても返してくれませんでしたね。

画像: ハーフムーンベイGLのオールドコースは切り立った海岸の上にあり、18番は最終にふさわしいスリリングなホール

ハーフムーンベイGLのオールドコースは切り立った海岸の上にあり、18番は最終にふさわしいスリリングなホール

「60代でエージシュートを達成し『忘れられない1ラウンド』にしたいです」

北村晴男

画像2: 著名人に聞いた“ゴルフ人生、思い出の1打”とは?

弁護士、弁護士法人北村・加藤・佐野法律事務所。民事事件を中心に幅広い案件を手掛けている。2000年から2021年まで「行列の出来る法律相談所」出演、21年YouTube「北村晴男ちゃんねる」をスタート

「心に残っている」と言えばホールインワンですね。1995年、レイクウッドGC東コース(18H・6524Y・P72)で、池越えの13番(132Y・P3)を8番で打つとワンバウンドでボールはカップに吸い込まれ、初めてのホールインワン。

画像: 仲間とグアムのマンギラオGCの海越えの12番ホール

仲間とグアムのマンギラオGCの海越えの12番ホール

10年以上前の大晦日に、沖縄のかねひで喜瀬CC(18H・7193Y・P72)で宮里聖志プロとその友人と3人でプレーしました。オーシャン8番ホール(201Y・P3)は、かなり打ち下ろしのパー3です。この日は打ったボールが大きく流されてしまうほど風が強く、低い弾道をイメージして4番アイアンで打つと、手前ギリギリにオンしてそのまま20ヤードほどグリーンを転がり、カップイン。2回目のホールインワンです。 

また09年、北九州オープンに出場したときのこと。開催コースは、門司GCで宮里優作プロが同組でした。9番(400Y・P4)は左ドッグレッグ。ティーショットが左のバンカーに入り、木の枝が張り出していてピンを狙うにはかなり難しい状況。フェースをややかぶせ、右から回すイメージを描いて6番アイアンで打つと、ボールはイメージ通りのフックボールでカップの上2メートルにナイスオン。バーディパットを入れて次の10番ホールではオナーとなり、ギャラリーから「このアマチュアがオナーなの」という視線を受け恥ずかしいやら、誇らしいやら……。

画像: 門司GCの9番ホール。左のバンカーからピンを狙いバーディにした

門司GCの9番ホール。左のバンカーからピンを狙いバーディにした

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各界の著名人総勢13名に聞いた “ 思い出の1打 ” 全編は2024年週刊ゴルフダイジェスト5月21日号、またはMyゴルフダイジェストにて掲載!

取材・構成/吉川丈雄(特別編集委員)

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