セベ・バレステロスやニック・ファルド、ベルンハルト・ランガーらヨーロッパ勢がメジャーを席巻した1980年代。アメリカ勢として唯一PGAツアーを引っ張ったのがカーティス・ストレンジだ。足掛け5年、200週間以上世界ランクトップ10に名を連ねた彼のもっとも傑出した戦績は何といってもベン・ホーガン以来38年ぶりの全米オープン連覇(88年&89年)である。マサチューセッツ州のザ・カントリークラブでファルドとのプレーオフを制し、初のメジャータイトルを獲得したときの知られざるエピソードをご紹介しよう。
画像: 1988年の全米オープン、最終日のニック・ファルド(手前)とカーティス・ストレンジ(奥)

1988年の全米オープン、最終日のニック・ファルド(手前)とカーティス・ストレンジ(奥)

ストレンジには一卵性双生児の兄弟・アランさんがいる。地元バージニア州でゴルフ場のオーナーを務めた父の手ほどきで7歳のときクラブを握ったがアランさんはプロの道には進まなかった。

88年の全米オープンでストレンジが3日目を終え単独トップに立ったとき親戚一同大騒ぎになった。「カーティスが優勝するかもしれない」と浮き足立ち、アレンさんと2人の叔父が急遽会場に応援に行くことになった。

しかし問題があった。試合会場に入るためのクレデンシャル(入場許可証)がない。もちろんファミリーバッジもない。しかし「とにかく出たとこ勝負だ」とバージニア州からザ・カントリークラブまではおよそ850キロの道のりを夜通しかけて交代で運転。

10時間以上のドライブの果てに入場できない可能性もあった。

そして最終ラウンドの朝、試合会場に到着したアランさんたちが思いついたのは「そっくりな兄のフリをすること」。無謀だがそれしかない!

ゲートに立つ係員と警備員の前で車を止めると、なんということだろう。向うから「おぉ、カーティス、頑張ってるな。今日も張り切っていけよ」と励ましの言葉をかけてくれたではないか! 

作戦成功。

拍子抜けするくらいすんなりゲートをくぐり優勝現場に立ち合うことができた。

画像: この大ギャラリーのなかに弟・アランもいたかも!?

この大ギャラリーのなかに弟・アランもいたかも!?

「あの時代ならではのエピソードですね。今では厳重に入場をチェックされますから。クレデンシャルなしで入って来れたなんてね(笑)」(ストレンジ)

日本では岩井ツインズが大人気。またデンマーク出身の双子ホイガード兄弟が数年前、欧州ツアーのプロアマで入れ替わったのだが、アマチュアのパートナーがそれに全く気づかなかったというドッキ
リチャレンジもあった。

カーティス&アランの“ストレンジ・ツインズ”もなかなかのものである。

画像: 米国ゴルフ関係者に知らない人はいない(はず?)のタイガーの息子・チャーリーもクレデンシャルがなければ入れず、また写真のように選手のプレーエリアに入る際は見えるところ(首にぶら下げるなど)に掲示しなければならない(写真は2024年全米オープン練習日、撮影/Blue Sky Photos)

米国ゴルフ関係者に知らない人はいない(はず?)のタイガーの息子・チャーリーもクレデンシャルがなければ入れず、また写真のように選手のプレーエリアに入る際は見えるところ(首にぶら下げるなど)に掲示しなければならない(写真は2024年全米オープン練習日、撮影/Blue Sky Photos)

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