選考・文/吉川丈雄
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースのスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動
【北海道・根室ゴルフクラブ】スコットランドを彷彿させる最果てリンクス
昭和30年代、根室のゴルファーは3時間かけて釧路のゴルフ場に出かけていたが「根室にも必要」と動いたのは根室の実業家碓氷勝三郎だった。所有していた根菜栽培の農場20万坪を使い川奈ホテルGC富士コースの工事を担当し、北海道大学農学部教授に就任していた丸毛信勝が設計をした。
碓氷が経営していた缶詰工場の社員が暇を見つけては手仕事で造り上げたコースだ。コースからは海が眺望でき、その分、風も強く、雨でも降ろうものなら気温は低下し、まるでスコットランドのリンクスでプレーをしている感覚になる。
【北海道・函館ゴルフ倶楽部】競馬場内の6ホールから始まった北海道最初のコース
日本銀行ロンドン支店に赴任していた時代にゴルフを覚えた君島一郎は、昭和2年に函館支店長に着任。ゴルフ場を造ろうとなり目を付けたのは競馬場柵内の空き地だった。君島は財界人を口説き、平野信男がレイアウト図を作製。芝は横浜から取り寄せ、6ホール、1860ヤード、パー24のコースが完成し会員を15名集めることができた。
競馬開催中はプレーができないことから9年後に上の高台に移転し赤星四郎設計で3100ヤードのコースを完成させた。戦後になると、再度赤星の設計で再建し現在のコースとなった。
【宮城・気仙沼カントリークラブ】郷愁を覚え、味わい深く、なぜか心に残る9ホール
1965年頃、マグロの水揚げを終えた北海道の漁船船主が、「次の水揚げは塩竈だ、塩竈には仙塩GCがあるからプレーが楽しみ」と言い残して出港していった。それを聞いて「気仙沼にもゴルフ場を造ろう」と考えたのは気仙沼の水産会社の千葉建郎。千葉本人も仙塩GCの会員で、かつては東北大ボート部で、ローマオリンピックに出場したスポーツマンでゴルフはHC2という腕前だった。
三陸の海を眺望できる丘陵地約8万坪に9ホールのコースが完成したのは1967年10月。設計は9ホールコース多く手がけている丸毛信勝だった。
【宮城・仙塩ゴルフ倶楽部浦霞コース】ゴルファーなら一度はプレーに訪れたい秀麗なコース
昭和の初期、東北には本格的なゴルフ場はまだなかった。仙台にあった12ホールのサンドグリーンでゴルフに興じていた日本酒「浦霞」の佐浦菊次郎。1933年に本格的なコースを造ろうとし赤松の生える丘陵地を確保し、赤星四郎に設計を依頼。当時、重機はなく人力での工事となり完成には時間がかかったが1935年10月に6ホールが完成。名称は仙臺カントリー倶楽部とされ、東北初の芝のグリーンを持つコースだった。
1944年食糧増産の名目で軍に買収されたが、畑になる前に終戦となり、コースは荒れずに済んだ。戦後は米軍のレクリエーション施設となり3ホールが増設された。赤松林が美しく印象的なホールが展開する。
※2024年7月23日号「週刊ゴルフダイジェスト/隠れた宝石コース」より一部抜粋