2024年7月23日号の「週刊ゴルフダイジェスト」では、国内外で数多くのコースを取材してきた、ゴルフダイジェスト特別編集委員・吉川丈雄(通称:ジョー)が日本国内の2000カ所以上あるコースの中から、名門と呼ばれるコースや、トーナメントコースのような知名度はないが、全国には足を運ぶ価値のある名コースを“隠れた宝石コース”として紹介している。みんなのゴルフダイジェストでは3回に分けてそのコースを紹介していこう。後編では中部地方以西の宝石4コースだ!

選考・文/吉川丈雄
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースのスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動

【岐阜・長良川カントリー俱楽部】上田治の“秀作”といえる個性的で変化に富んだコース

岐阜県にまだゴルフ場がなかった1953年、長良川河畔の県営グラウンドにゴルフ愛好家が数ホールのコースを手造り。1960年になると岐阜CCが完成し、長良川河畔のゴルファーたちはより本格的なコースを目指して市街地に近い場所を求め現在地7万坪を確保。コース設計は“剛の上田治”だった。

画像: ●住所/岐阜県岐阜市長良雄総北裏山862- 8●コースプロフィール/18H・4220Y・P62●開場/1963年 ●設計/上田治(写真は17番ホール・380Y・P4)

●住所/岐阜県岐阜市長良雄総北裏山862- 8●コースプロフィール/18H・4220Y・P62●開場/1963年 ●設計/上田治(写真は17番ホール・380Y・P4)

上田が岐阜県内で手掛けた岐阜関CC東Cは全長7306ヤードと長いが、長良川CCは4220ヤードとかなり短い。18ホールの内訳はパー4が8ホール、パー3は10ホールという組み合わせになり、敷地を最大限に生かした上田治の“秀作”だ。

画像: 2番ホール・150Y・P3。10ヤードの打ち下ろしで、グリーンは右奥から左手前に順目になる

2番ホール・150Y・P3。10ヤードの打ち下ろしで、グリーンは右奥から左手前に順目になる

【鳥取・鳥取ゴルフ俱楽部】「砂の惑星」のような砂だけのコースが原点

1952年、大火災に遭った鳥取市は、復興として鳥取砂丘ゴルフ場を発案。コースは砂丘の西の一画、東西16キロ、南北2キロの20万坪を借り受けた。砂だけなので造成費はゼロ。波打ち際はウォーターハザード、バンカーやグリーンは杭で区別し、グリーンは砂掻きでならしてパットをした。季節により吹く風の方向と強さに変化があり、コース自体も形が変わるという面白さがあった。

画像: ●住所/鳥取県鳥取市浜坂鳥打山1318●コースプロフィール/9H・3201Y・P36●開場/1964年 ●設計/間野貞吉(写真は6番ホール・391Y・P4)

●住所/鳥取県鳥取市浜坂鳥打山1318●コースプロフィール/9H・3201Y・P36●開場/1964年 ●設計/間野貞吉(写真は6番ホール・391Y・P4)

当時の料金はキャディフィー込みで300円。約10年続けられたが1964年、砂丘に隣接する鳥打山麓に移転。コースは建築家の間野貞吉による設計だった。

画像: コースからは砂丘と日本海が眺望でき開放感に溢れている

コースからは砂丘と日本海が眺望でき開放感に溢れている

【山口・若山ゴルフクラブ 梶コース】炭鉱からゴルフ場へ海に浮かぶ手造りリンクス

海底炭田・梶鉱業所は年間15万1000トン出炭していた。ボタと呼ばれる坑内廃土は坑道周辺の遠浅に積み上げられ、やがて抗口と山陽町の海岸が地続きになり、その面積は約8万坪にもなった。ゴルフ好きだった片岡敏郎社長はゴルフ場建設を考え1971年に着工。設計は友人で茨木国際CCの沢田友春プロに依頼。芝は京都の種苗メーカーに赴き3種混合の洋芝の種を購入し、従業員が仕事の合間に種をまいた。

画像: ●住所/山口県山陽小野田市大字郡1867●コースプロフィール/12H・3575Y・P44●開場/1975年 ●設計/沢田友春(写真は10番ホール・405Y・P4)

●住所/山口県山陽小野田市大字郡1867●コースプロフィール/12H・3575Y・P44●開場/1975年 ●設計/沢田友春(写真は10番ホール・405Y・P4)

周囲を海に囲まれ強い風が吹き抜け、ボールが手前に戻ってくることも。ゴルフは自然との対峙だと教えてくれる。

画像: 海底炭田の入り口まで橋が架けられていたがボタを浅瀬に積み上げた結果半島になった

海底炭田の入り口まで橋が架けられていたがボタを浅瀬に積み上げた結果半島になった

【山口・毛利庭園ゴルフ俱楽部】毛利家の裏山に造られ瀬戸内海が眺望できた

戦後になると華族制度の解体、財産税の高率課税などで旧華族は窮地に陥っていった。36万石の藩主・毛利家とて同様で、東京高輪の本邸を物納し、防府の邸宅も物納の危機に見舞われていた。その時、地元財界人は邸宅の裏山にゴルフ場を造り、その収入で税金を納めることを提案。

画像: ●住所/山口県防府市多々良1-15 -1●コースプロフィール/18H・6081Y・P72●開場/1952年 ●設計/井上誠一(写真は6番ホール・128Y・P3)

●住所/山口県防府市多々良1-15 -1●コースプロフィール/18H・6081Y・P72●開場/1952年 ●設計/井上誠一(写真は6番ホール・128Y・P3)

井上誠一により9ホール、2900ヤード、パー35のコースが誕生したのは1952年。コース全域が「毛利の森」と呼ばれ、歴史を思わせる雰囲気が漂い、1975年に9ホールが増設されるとインコースとなり18ホールに。山口県最初のゴルフ場でもあった。

画像: 喫茶「舞衣」はフロントとレストランとして使われていた

喫茶「舞衣」はフロントとレストランとして使われていた

※2024年7月23日号「週刊ゴルフダイジェスト/隠れた宝石コース」より一部抜粋

スペシャリスト吉川丈雄が選ぶ国内外の“名物ホール”

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