ラスベガスのあるネバダ州出身のギリガンは現在フロリダ大学の4年生。昨年ウェスタンアマチュアで優勝しオールアメリカンのセカンドチームにも選ばれている。
15歳のときだった。ジュニアの試合に向け準備をしていたとき「ストレッチしていたら何か変だなと感じた」と異変に気づいた。「急に体が動かなくなるような気がしたのです」。
おかしいとは思ったが気にするほどではないと思い直した。だが1カ月後、左腕の内側から壊死した皮膚が剥がれたことで病院の扉を叩く。本人は「ただの嚢胞だと思った」というが、そうではなくではなかった。「細胞の一部を検査したところガン性だったことがわかったのです」。
その後、症状は急激に悪化。しかし症例が極めて少ないため医師たちも治療方法に苦慮した。検討している間にもギリガンは激痛と格闘。拒食症のように食べられなくなってやせ細りあっという間に衰弱していった。ゴルフなどできるわけがない。
「両親は僕の前で深刻にならないようにしていたと思うけれど、隠れて母が泣いているのを見るととても辛かった。どんな時も支えてくれた両親を悲しませたくないと思いました」
やがてスタンフォードガン研究センターから朗報が届く。非常に珍しいガンのため治療のチャンスは一度だけ。高度に個別化された抗がん剤による化学治療を受ければ生存率は85パーセントまで上がるといわれた。
即化学療法を受けはじめたギリガンは数日のうちに回復の兆しを見せる。驚くべきことに「1週間後には完全に痛みがなくなった」のだとか。
ガン患者の多くが化学治療の辛さを語るが彼の場合すぐに痛みが取れ、クラブが握れるようにまで回復したというのだ。心配していた友人たちとも再開。一緒に過ごす時間が増えるにつれ「普通の生活に戻れた」ことを実感した。
しかし病から5年以上たったいまもギリガンは「自分が何らかのPTSDを患っている気がする」という。症状が表れてから治療までおよそ2カ月と期間は長くなかったが、あまりにもトラウマ的な経験だったことがPTSDの原因だ。
「自分が経験したことを思い出し、僕よりさらに辛い経験した人たちがいることを知れば物事を当たり前なんて思うことはできない。病気の前と後では確実にものの見方が変わりました」
主催者推薦で出場権を得た今大会でも「出られるのが当たり前」と思わず感謝の気持ちを携えながらギリガンはツアー2度目の予選突破を目指す。