TOTOジャパンクラシックで竹田麗央が今季8勝目を挙げ、米ツアーの出場資格を獲得したその日の夜、上田桃子が自身のSNSを通じて突然の休業宣言。今季限りのツアー撤退を発表した。それから4日後、伊藤園レディスのプロアマ後に、上田による公式会見が行われた。
画像: ツアーから一線を退く理由や今後について語った上田桃子

ツアーから一線を退く理由や今後について語った上田桃子

次の人生を考えたときに、今かな

ツアーの一線から退く決断をしたのは今年の日本女子オープンを終えた後だった。

「メジャーを終えたと同時に、今年3試合戦ったけど勝てなかった。次の人生を考えたときに、年齢的なことも含めて、今かなと思った感じです」

38歳の今でも飛距離は衰えるどころか年々伸びているほど。ゴルフへの情熱も強い上田だが、ツアー生活から人生の次なるステップについて考えるようになったのは30歳を過ぎたころだったという。

「毎年合宿を始める前に、今年1年やれる心技体があるのか考えながら、引退というよりはまずその1年できるかとどうかというのをいつも考えていました」

それでもやめなかったのは「自分自身に対する可能性が消えなかった部分と、そこに対してアプローチしてくれるコーチの存在とか、頑張れる環境があったのはすごく大きいと思います」

荒川博氏と出会ったタイミング

画像: 現在のコーチ・辻村明志プロと王貞治氏をホームラン王に導いた故・荒川博氏(撮影/野村誠一)

現在のコーチ・辻村明志プロと王貞治氏をホームラン王に導いた故・荒川博氏(撮影/野村誠一)

多くの出会いが上田のゴルフ人生を支えた。

2014年、悩んだり苦しんだりしていたころに現在のコーチである辻村明志プロがつないだ故・荒川博氏との縁。

「荒川先生に会うタイミングも結構自分の中では頭打ち食らっているかなと思っている時期でした」

野球とゴルフで畑は違うが、ツアーから撤退してもゴルフの技術を追求していきたいと思うきっかけのひとりとなった。

指導者に興味があるという段階

画像: 坂田塾でゴルフを始め、坂田信弘プロにゴルフ指導を受けた上田桃子(撮影/姉崎正)

坂田塾でゴルフを始め、坂田信弘プロにゴルフ指導を受けた上田桃子(撮影/姉崎正)

ゴルフを始めたときの恩師・坂田信弘プロも上田にとって大きな存在だった。

「坂田プロがいたから今の女子ゴルフや子どもたちがゴルフをする環境がある」と、坂田プロが今年の7月に亡くなったときにそう話していた上田。恩師の意思を次いでジュニアゴルファーの育成に少なからず関心を持つようになった。

「本当に指導者になろうではなくて、技術を向上させることは辞めても興味深いというか、だったらちょっとでも、ゴルフが上手くなることを勉強していきたいなと。それがどういう形になるのか分かりませんが、興味があるという段階です。やるのは得意でも見る力はないかもしれないので、まずは勉強したい気持ちがあります」

女優の上戸彩と歌手のAIがロールモデル

また、指導者やコーチ以外の出会いもプロゴルファーとしての上田桃子を成長させた。

CMで共演した女優の上戸彩さんや歌手のAIさんとの出会いが「プロフェッショナル」を意識するきっかけになった。

「上戸さんは年齢に関係なく、気さくに対応してくれて、ずっとああいう人になりたいなと思っていました。歌手のAIさんもそうですけど、こういう人たちが自分の中のプロフェッショナルだと思いました。人間味のあるやさしい人だったので、そこをいつも目指していました」

2人は上田にとって人生のロールモデルとなっている。

常に学びのゴルフ生活

画像: 2007年のミズノクラシック(現TOTOジャパンクラシック)でアルバトロスを奪った上田(撮影/姉崎正)

2007年のミズノクラシック(現TOTOジャパンクラシック)でアルバトロスを奪った上田(撮影/姉崎正)

10歳からゴルフを始め、2005年にプロテストに合格。2007年にはライフカードで初優勝を飾り、10月のミズノクラシックでアルバトロスを奪い優勝、同年5勝を挙げて賞金女王に輝いた上田。

ツアー17勝を挙げたツアー生活を振り返ると

「学びしかなかったと思っています。最初は苦労と言う苦労も知らずに、やったら上手くいくなという強い気持ちでやれていたんですけど、アメリカに行って、たくさん失敗も経験して、なかなか思うようにいかない日があったんですけど、それでも上手くなりたいという気持ちがいつもあったので、逃げずに正面から向き合うことで、経験を元に成長できたと思っています。常に学びのゴルフ生活でした」

最後の1戦まで……

画像: 会見後、月がのぼり、日が暮れるまでアプローチ練習に励む上田と辻村コーチ

会見後、月がのぼり、日が暮れるまでアプローチ練習に励む上田と辻村コーチ

残り試合は出場資格がある伊藤園レディスとエリエールレディスの2戦。この2戦のポイント次第では最終戦のリコーカップの出場のチャンスも残っている。

「リコーに出たい」

会見を終えた上田は、アプローチレンジでおよそ2時間、日が暮れるまで辻村コーチとボールを打ち続けた。

※2024年11月8日7時30分一部修正しました

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