先日、76歳で逝去したプロゴルファー、坂田信弘。多くの功績のなかでも、93年に開校した「坂田塾」の存在は大きい。坂田が心血を注いだ教え子たちは、ゴルフ界だけでなく、多岐に渡り活躍している。今週発売の「週刊ゴルフダイジェスト」9月3日号では、主だった教え子たちから塾長への、最後のメッセージを掲載している。「みんなのゴルフダイジェスト」ではその一部を抜粋してお届けしよう。
画像: 76歳で逝去したプロゴルファー、「坂田塾塾長」坂田信弘

76歳で逝去したプロゴルファー、「坂田塾塾長」坂田信弘

上田桃子(ZOZO所属。2007年JLPGA賞金女王)

「世界の素晴らしさを感じさせてくれたのは、坂田プロの“野望”があったからです」

86年生まれの上田桃子は、10歳で坂田塾に入り、05年にプロテストに合格、07年には史上最年少(当時)で賞金女王となった。

「坂田プロとの最後の会話は、今年の5月、(福岡CC)和白Cで行われた試合(RKB×三井松島レディス)のとき、『桃子がんばれよ、まだまだやれるぞ!』といった感じだったと思います。実はお亡くなりになる前日、坂田プロの息子さんからお電話をいただき、会話はできませんでしたが、笠りつ子プロと2人で『今日も暑いですけど、元気に過ごしましょうね! 私もがんばりますよ~!』と伝えて電話を切りました」

画像: 「指導に余分な言葉は必要ない」坂田塾は多くのトッププロを輩出してきた。卒塾生たちは、それぞれが感じたこと、身に付けたことを、今も心身に焼き付けている

「指導に余分な言葉は必要ない」坂田塾は多くのトッププロを輩出してきた。卒塾生たちは、それぞれが感じたこと、身に付けたことを、今も心身に焼き付けている

坂田からの教えで一番心にとどめていることは、言葉というより礼儀だという。

「坂田塾では、挨拶に関してすごく厳しく言われましたし、お礼状を書くことや漢字や英語をきちんと覚えることなど、基本的なことや礼儀を重んじる大切さを学んだと思います。また、坂田塾には『世界で羽ばたけるプロゴルファーを!』というモットーがあったので、そのモットーに背中を押される形でアメリカに行くことができました。子どもの頃から、海外なんて自分とはまったく無縁の場所だと思っていた私に、世界の素晴らしさを感じさせてもらえたのは、坂田塾、そして坂田プロご自身の大きな野望があったからだと感謝しています」

上田は07年の日米ツアー共催、ミズノクラシックの優勝を機に08年から米女子ツアーに挑戦、6年間の経験を糧に自分のゴルフを磨き続けている。

ちょうど10年前、日本ツアーに復帰後すぐ、小誌で“師弟対談”を行った際、上田は坂田に時計をプレゼントしている。

「坂田塾、坂田プロには本当に、ゴルフや人生の素晴らしさを教えていただいたという感謝の気持ちが強かったので、アメリカツアーメンバーとして最初の優勝時に、優勝者がもらえるロレックスを、坂田プロのおかげでアメリカに行けたので、坂田プロに渡したいなあ、と思いプレゼントさせていただきました」

画像: 2015年新年に小誌企画に掲載した“師弟対談”の写真。少し照れながら上田を叱咤激励。「スウィングも何も『森を見て木を見る』。小さなことにこだわると大きな本質が見えなくなる」(坂田)

2015年新年に小誌企画に掲載した“師弟対談”の写真。少し照れながら上田を叱咤激励。「スウィングも何も『森を見て木を見る』。小さなことにこだわると大きな本質が見えなくなる」(坂田)

このときの坂田の、照れたような、嬉しそうな顔が忘れられない。

「桃子、成長したな。お前は先頭であと10年はやらんといかんぞ」

あれから10年――上田は今でも第一線で活躍し続ける。

「坂田プロ、私たち塾生にゴルフの素晴らしさを教えてくださって、ありがとうございました! おかげ様で人生を豊かにすることができました。たくさんの人たちと出会えたのもゴルフがあったからです。前例のないところから始めて大変なこともあったかと思いますが、私たち生徒が各々の感謝を胸に、これからも元気に生きていきたいと思います!」

上田桃子らしい力強い言葉で、天国の坂田へのメッセージを締めくくった。

PHOTO/Hiroaki Arihara、Tadashi Anezaki、小誌写真室

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坂田塾生からの“最後のメッセージ”は青山加織、笠りつこ、そして、親交のあったえなりかずきさんからも贈られている。続きは週刊ゴルフダイジェスト9月3日号、Myゴルフダイジェストにて掲載中。

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