22年のメルセデスポイントランク51位から23年は10位、24年には初優勝から3勝(国内メジャー1勝)を挙げ躍進が止まらないた桑木志帆。22年から見続けて来たみんなのゴルフダイジェスト特派記者で24年から桑木志帆のコーチとしてサポートするプロゴルファー・中村修がシーズンを振り返り前・中・後編でお届けします。

オフシーズンから初優勝まで

前回の記事では、2023年までの桑木志帆の軌跡を見てきました。私は、みんなのゴルフジェストの記者としてときに取材をし、ときにアドバイスをする関係でした。そんな私に、2024年シーズンを桑木のコーチとして帯同して欲しいというオファーが届いたのです。

悩んだ末、私は10年在籍したゴルフダイジェスト社を退社し、コーチとして本格的にサポートする道を選びました。これは私にとっても大きな人生の岐路でした。これまでプロとしてアマチュアゴルファーや研修生にゴルフを教えた経験はあっても、トッププロに育てた経験はありません。ただ、ゴルフダイジェスト社で過ごした10年間で国内外のトッププレーヤーやコーチ、トップアマたちへの取材活動から得た知識や経験は、必ず役に立つだろうと考えていました。2024年はこうして私にとって新たな、そして人生最大のチャレンジの年となったのです。

桑木にとっての2024年もまた、大きなチャレンジの年でした。あと一歩のところでつかめなかった初優勝を果たし、そしてトップレベルの選手になれるかどうかが決まる年。そう考えていました。

2023年シーズンの開幕前にドローからフェードに変えたショットは十分な成果を出せていました。それも、フェードのメカニズムをレクチャーした程度で彼女はモノにしてみせたのです。誤解を恐れずに言えば、元々の運動能力が高い桑木にスウィングの指導は必要ありません。打ちたい弾道のメカニズムさえ理解すれば自分の感性でそれを打てるセンスがあったんです。

2023年シーズン、私は桑木に答えを教えるのではなく、自分で答えを出せるヒントを伝えること、それが成果につながっていたので2024年シーズンも、その方針は変えずに臨もうと考えていました。

迎えた2024年、1月末から私とトレーナー、桑木の3人はロサンゼルス合宿に向かいました。しかし、異常気象のせいで到着した翌日から1週間で1年分の雨が降り続き、思うような練習やトレーニングはできません。ようやく雨がやんだ後も、シーズン終了からの2カ月間はプロアマやイベント続きでまともに練習ができなかったことで、なかなか調子が上がってきませんでした。ところがPGAツアー「ジェネシス招待」を見に行った日を境に彼女のアスリートの魂に火がつきます。

なにかヒントになればと向かった先で、タイガー・ウッズやローリー・マキロイの練習ラウンドについて歩き、松山英樹のパット練習を見終わると「もう練習に行きたい」と言い出したのです。早々に引き上げ拠点に戻って熱のこもった練習を開始。その後もトレーニングと打ち込み、パッティング練習を暗くなるまで続け、みるみる調子を上げていきました。

画像: 松山英樹が大逆転で勝利した「ジェネシス招待」の練習日にパチリ(写真/中村修)

松山英樹が大逆転で勝利した「ジェネシス招待」の練習日にパチリ(写真/中村修)

しかし、帰国して1週間後に迎えた開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」では初日を77(93位タイ)と出遅れ、2日目には予選カットラインまであと1打まで戻すも後半にダボ・ボギー・ダボと崩れ7オーバーで予選落ち。

ショットやパットの調子の問題ではありません。前年をランク10位で終え、新しいスポンサーにも恵まれた若い選手が、開幕戦にどんな気持ちで挑む必要があったのか。そこまでを見越して仕上げ切ることができなかったことを、コーチとして大いに反省する開幕戦でした。

翌週の「明治安田生命レディス」は初日と2日目まで6位タイで終えましたが、3日目の9番でバンカー越えのピンを狙った一打がバンカーのアゴにつかまり目玉となってダブルボギー。気持ちの立て直しをできず、後半は2つスコアを落としてしまいます。

思うような結果を出せず、ミスした自分を責めて引きずる桑木に「ミスは誰にでもある。反省はラウンドが終わってから。焦らなくても必ず成績は出る」と門田実キャディと3人で2時間近く話し合い、最終日に向かいました(結果は35位タイ)。

ゴルフは個人競技ですが、キャディ、コーチ、トレーナーが一体となり、チームとして選手を支えることの大切さが身に染みた瞬間でした。転ばないように手を差し伸べるのは簡単ですが、大事なのはどうすれば転ばずに済むか、転んでも立ち上がる気持ちを選手が自分で考えることです。ベテランの門田キャディに助けられながら、序盤戦は焦ってあれこれアドバイスしないようにしていました。

3戦目は苦手なコースということもあり予選落ち。しかし4戦目の「ヤマハレディス葛城」では優勝争いを繰り広げ、終盤の勝負所のパットが決まっていれば……という内容で4位タイフィニッシュ。シーズン4戦目にして初めての上位フィニッシュに、ホッと胸をなでおろしました。

画像: 24年「ヤマハレディースオープン葛城」は4位タイでフィニッシュ(写真/岡沢裕行)

24年「ヤマハレディースオープン葛城」は4位タイでフィニッシュ(写真/岡沢裕行)

「KKT杯バンテリン」では首位から3打差の5位タイフィニッシュでしたが、実は3日間同じ5番ホールでボギーを打っていまいた。5番ホールは左ドッグレッグ。フェードヒッターが苦手な左ドッグレッグホールの攻略という課題が見つかった試合となりました。

桑木のお父さんが全コースのヤーデージブックを手書きでコピーし、全ラウンドのボール地点を記録していることで、苦手なシチュエーションが浮き彫りになっていました。しかし、ただ安全にプレーするだけではスコアは伸ばせません。

門田、小田亨キャディの二人のベテランは、「行けるなら行け! ここは行くしかない!」とあえてブレーキをかけないことで、攻めるゴルフを教えてくれていました。ときにはボギーも打つこともありましたが、それは間違いなく桑木の成長を促してくれてもいました。

翌週の「フジサンケイレディス」で最終日最終ホールの2打目を直接放り込んでイーグルとし9位タイで終えると、次の「パナソニックオープン」で転機が訪れます。前週のコーライグリーンからベントグリーンに変わったこともあってパットが入らず、2日目を終え予選カットは免れたものの、トップの背中ははるか彼方の45位タイ。

3日目、練習用にと渡していたオデッセイのピン型のパターを初投入。ラウンド後「このパターだとラインが作れます」と語っていたように、このパターチェンジはパッティングの転機になるという確信があありました。

もうひとつ、きっかけとなる出来事がありました。2週後の「RKB三井松島レディス」の際に、友人でもあるエンジョイゴルフ代表・佐々木信也さんにお願いして、右脳と左脳の使い方を学べる「フォーカスバンド」という機器を使用したセッションを受けたのです。

画像: 右脳と左脳の切り替えから集中力を研ぎ澄ますフォーカスバンドのトレーニング(写真/中村修)協力/エンジョイゴルフ福岡

右脳と左脳の切り替えから集中力を研ぎ澄ますフォーカスバンドのトレーニング(写真/中村修)協力/エンジョイゴルフ福岡

左脳で状況判断をしたら、右脳に切り替えて打つ。ショットではそれが自然とできていましたが、パットになると雑念が入って持てるパフォーマンスを出せずにいるこがわかりました。フォーカスバンドのセッションで学んだ集中の仕方を試合でも実践すると、少しずつ効果が表れ、自分で納得するパットの回数が増えていったのです。

その効果は2週後の「リゾートトラストレディス」で3位タイと早速表れます。翌週の「ヨネックスレディス」でも5位タイと、ショットとパットが噛み合うことが多くなっていきました。

画像: 24年の「リゾートトラストレディス」ではパットとショットが噛み合い3位タイでフィニッシュ(写真/大澤進二)

24年の「リゾートトラストレディス」ではパットとショットが噛み合い3位タイでフィニッシュ(写真/大澤進二)

全英女子オープン行きのチケットがかかった「サントリーレディス」では体調不良の影響もあって1打足りずに予選落ち。悔しさのあまりラウンド後に練習を始めると、チームに止められるまで打ち続けていました。

翌週の「ニチレイレディス」では練習日に今度はピンのパター「PLDアンサー2」との出合いがありました。これまでも練習グリーンで打たせたことはありましたが「このパターは打感が良い」とこれまでに聞いたことがなかった打感の良さを口にしたことから、それなら距離感も良くなるはず、と早速投入。初日に1イーグル4バーディの6アンダーと結果を出し、首位タイスタート。

トレーニングの成果で体力が上がって来たこともあり、ドライバーのシャフトを「ディアマナBB」に変え、3Wは「ディアマナWB」の50Sにチェンジするなど、ギア面のフィッティングも着実に進んでいました。最終日に伸ばせずに終わったものの収穫は大きい試合だったんです。

そして2週後の「資生堂レディス」でついに歓喜の瞬間が訪れます。一年前、プレーオフで敗れて悔し涙に暮れた試合です。

画像: 24年の「資生堂レディス」で23年のプレーオフ敗退からのリベンジを果たし初優勝を飾った(写真/姉崎正)

24年の「資生堂レディス」で23年のプレーオフ敗退からのリベンジを果たし初優勝を飾った(写真/姉崎正)

初日に7バーディノーポギーの2位に2打差の首位発進を果たすと、2日目悪天候中止を挟んで迎えた3日目の第2ラウンドで首位と1打差の2位タイにつけ、最終日は69で2日目トップの堀琴音をかわし、「忘れ物を取りに来た」と昨年のリベンジを果たし、プロ初優勝をついに手にしたのです。

最終ホールでニアサイドからのアプローチを寄せ切れたのは、アプローチ専門の永井直樹コーチに練習日にアドバイスを受けたおかげ。試合会場に来る機会があればアドバイスをしてもらいたいと頼んでおいたことが功を奏し、ラフからのアプローチの技術向上に大きく役立ちました。

桑木志帆の初優勝は、私にとっての“コーチ初優勝”でもありました。初優勝の喜びを共に味わうことができ、コーチとして最高の景色を見せてもらったことに感謝しかありません。

画像: 初優勝を飾った「資生堂レディス」で小楠和寿トレーナー(左)、桑木志帆(中)、中村修(右)(写真/姉崎正)

初優勝を飾った「資生堂レディス」で小楠和寿トレーナー(左)、桑木志帆(中)、中村修(右)(写真/姉崎正)

初優勝というひとつ目の目標を達成し、シーズン中盤以降は複数回優勝、そして昨年のポイントランク(10位)を上回るため、安定した成績を出し続けることが新たな目標となっていきました。

シーズンの最後にあんな結末を迎えることになろうとは想像もしていませんでした。桑木は我々が考えるよりも早く、そして大きく成長していくことになるのです。
(後編に続く)

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