
ちん・せいは 1931年台湾生まれ。16歳から生家そばの淡水GCで働き、22歳でプロに。来日して川奈で修業し、59年には東京GC所属となり同年日本オープンで優勝。その後勝利を重ねる。自身のゴルフ理論をまとめた『近代ゴルフ』はゴルフのバイブルとなった。14年日本プロゴルフ殿堂入り。
陳さんのご両親はとても長生きだった。父親の水深さんは102歳、母親の禾様さんは98歳で天寿を全うした。
だから陳さんもその血を受け継いで、100歳ぐらいまで生きるんじゃないですか、と話を向けると「でもそのときにはレッスンはできないと思うよ」と返してきたので、そこまでやればギネスブックに載りますよ、と水を向けたら「アハハ……、じゃあやろうか? あなたは大丈夫?」との返事。
健康に自信を持てなかったときだったので首をヨコに振ると「ちゃんと健康管理して、一緒にやろうよ」と真顔で乗り気だった。
これは月刊ゴルフダイジェスト誌に『陳さんとまわろう!』を連載中の2014年10月に河口湖CCで取材したときの陳さんと私のやり取りだ。このとき陳さん83歳、私67歳だった。残念ながら願いはかなわず、陳さんは私を置いて先に旅立ってしまった。93歳3カ月はいかにも早すぎた。

陳清波プロ
陳さんが一躍脚光を浴びたのは1960年。前の年に日本オープン(相模原GC)に優勝し、報知新聞が陳さんのレッスン記事を連載したものをまとめた『陳清波の近代ゴルフ』が発刊(4月15日第1版)され、これが洛陽の紙価を高めるほど爆発的に売れた。
この本のなかで陳さんはクラブをスクエアグリップで握り、ハンドアップに構えることと、ウッドクラブでもダウンブローに打つことを解説した。それまでの日本のゴルフはフックグリップでハンドダウンに構え、アイアンはヘッドを打ち込み、ウッドはアッパーに打つものとされていたから、まさに旧弊を打破する近代的なゴルフを提唱するものだった。ところが陳さんの予想もしなかった事態が発生し、陳さんを面食らわせた。
「ウッドもダウンブローで打つんだよって書いたもんだから、パー3ホール以外のティーグラウンドでもヘッドを打ち込んだためにできた穴がたくさん残っちゃってさ。あなたがあんなこと書くからコースが荒れるんだよって、ゴルフ場の支配人から文句言われたことがあって、いや困りましたよ」
穴を開けるばかりでなく、打ち込んだヘッドが抜けず、シャフトが折れたとか手首を痛めたとかの苦情も直接間接に陳さんの耳に届いたそうだ。しかしこれは読者の甚だしい誤解によるものだった。日本オープンの優勝とレッスン書のベストセラー。この2つは陳さんを大いに安堵させた。
とくに1959年の日本オープンの優勝は来日してわずかふた月足らずの快挙だった。8月に東京ゴルフ倶楽部の所属プロとして台湾から招聘されて来日、そして9月末の日本オープンで最終ラウンドの翌日18ホールのプレーオフを戦っての見事な勝ちっぷりだった。

日本ツアー通算12勝。シニアツアーでは4勝、グランドシニア12勝。海外では、全英オープン2回、ワールドカップ11回出場。マスターズには63年から6年連続出場しすべて予選通過した。78年日本に帰化
「日本に来て2年3年たってから優勝しても意味がないんだ。来てすぐ優勝したからよかったの。これがなかったらいまの私はないよ。私は運がいいの。こんな幸運な人間はそういないんだ」
台湾にいれば、奥さんと2人の子供と一緒に何事もなく暮らせるのに(陳さんは24歳で結婚)、上手くいくかどうかわからない日本へ、妻子を置いてまで一人で行って、イチかバチかに賭けるのは不安でしようがなかった、と語っていた陳さんだから、まさに日本オープンの優勝は陳さんを勇気づけた。
しかし、好事魔多しというべきか。廣野GCで開催された翌1960年の日本オープンは、陳さんが小針春芳に3打差をつけ、一騎打ちを制して2連覇を達成したかに思われた。が、なんとスコア誤記という初歩的ミスによって競技失格という天国から地獄を味わうことになった。この一件を報知新聞は次の見出しで報じている。
《陳清波(東京)一位で失格/日本ゴルフ史上初のミス/11番(午後)で5を4/規則38 条にふれるスコアの記入に誤り》

元祖スクエアグリップ
このスコア誤記を発見したのがなんと陳さんの連載レッスン記事を書き、『近代ゴルフ』の発売につなげた報知新聞の記者浜伸吾さんだったのがなんとも皮肉だ。
このスコア誤記については当然ながら陳さんに話を聞いたことがあって、どんな答えが返ってくるのか耳を傾けたら、途中から意外な展開になって、そういうこともあるだろうなと得心した。
「あのスコア誤記はね、新聞記者の人たちのせいよ。18番グリーンらクラブハウスまでの間、みんなが私の周りを取り囲みながら2連覇は凄いとかワ~ワ~話しかけるもんだから舞い上がっちゃってさ、小野光一さんが書いたスコアカードをトータルの欄だけ見てサインしたんだねえ」

誰からも愛されたプロ
何となく冗談めかした話しぶりだったが、これはたぶん本心だ。目がそう語っていたもの。
文・塚田賢(聞き書き屋) 写真・松岡誠一郎、三木崇徳、増田保雄、小誌写真室
※週刊ゴルフダイジェスト2月18日号「昭和のインターナショナルプロ陳清波」より一部抜粋
続きは週刊ゴルフダイジェスト2月18日号、またはMyゴルフダイジェストにて掲載中!