1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材し、現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員として活動する吉川丈雄がラウンド中に話題になる「ゴルフの知識」を綴るコラム。第5回目は「バンカーの“起源”と“保護の方法”」について。

砂地にトラップの役割を与えた「トム・モリス」

リンクスは基本的に砂地。そのため、草や灌木が生えていない部分は砂が露出している。海からの強い風が吹くたびに砂は飛び、自然とできた窪地などに集まってくる。バンカーの誕生だ。

自然の現象で生まれたバンカーは、ゴルフのゲームにおいてハザードとして使われてきたが、リンクスから離れた内陸部にゴルフ場を造るとき、自然にできた砂の吹き溜まりを再現することになり、バンカーがデザインされることになる。神が造り給うたリンクスには自然に出来た砂場(バンカー)があったが、それらを整えてトラップとしての役割を与えたのはトム・モリスだった。

トム・モリス親子の写真

トム・モリスの本名は、トーマス・ミッシェル・モリスといい、機織り職人の息子として生まれ、ゴルフは10歳から始めている。セントアンドリュースのコースを経営していた世界最初のプロゴルファーとされるアラン・ロバートソンの弟子になり、ゴルフ用具の製造、コースの管理などを学んだ。ロバートソンの試合パートナーとしても活躍し、当時無敵の2人だった。

1851年トム・モリスが新素材のガッタパーチャーボールを使ったことで解雇されてしまい、開場準備をしているプレストウィックGCに移籍した。

ここではコースの管理、ゴルフ用具の販売、コース設計などをしたが、1865年にはセントアンドリュースに復職してプロ兼グリーンキーパーとして仕事を始めた。芝の育成を促すためにグリーンに砂を入れることを考案し、砂が剥きだしたままの裸地を整えてバンカーにした。ホールのヤーデージ標識を設置したり、グリーンを刈る芝刈り機の導入などを初めて実践した。それまで「あるがまま」のリンクスだったが、少しずつだが近代化され始めた。

画像: “A Typical St.Andrews Sod Wall Bunker.”の文字。

“A Typical St.Andrews Sod Wall Bunker.”の文字。

バンカーの淵を保護する「ソッドウォールバンカー」

コース管理をするなかで、バンカーの淵が崩れてしまうという現象はリンクスの悩みで、修復には労力が必要となり、それを回避するためにトム・モリスが考えたのがソッドウォールバンカーだった。

画像: よく見るとバンカーの断面が層の様になっている。

よく見るとバンカーの断面が層の様になっている。

バンカーのグリーン方向にそびえる壁が崩れないように、短冊状に切った芝を積み上げて補強し形状を整えた。結果、バンカーのエッジはシャープになり景観的にも優れることになった。芝を積み上げることから寿命があり数年ごとに手直しをすることになるが、近年では人工芝を積み上げることで問題を解決できるようになった。

日本にソッドウォールバンカーはあったのか、と調べてみると、1928年開場した川奈ホテルの大島コース4番ホールにかつてあった。グリーン手前の大き目のバンカーのフェアウェイ側の壁がソッドウォールだった。通常はグリーンに面する側に造られるものだが、なぜか川奈ではフェアウェイ側だった。管理の問題などで現在は通常のバンカーだが、是非再現して欲しいものだ。

枕木もバンカー保護に使われた

深く大きなバンカーの手入れはかなりの労力と費用が掛かる。何故なら崩れやすい砂で構築されているからだ。イギリスは早くから豊富な石炭に支えられ鉄道網が発達してきた国だ。つまり、多くの枕木が使われてきた。

古い枕木をバンカーの崩れやすい壁に立てかけるのはかなり昔から行われてきた。最初に全英オープンが行われたプレストウィックGCのバンカーには枕木が多用されている。砂の壁を補強するだけではなく、深いバンカーの出入りを容易にするための階段も枕木で作られている。階段があれば柔らかいバンカーの淵が崩れることもない。最も、枕木にボールが当たり予想外の場所にボールが飛んで行ってしまうことはありうるが、ゴルフの基本理念は「あるがまま」だからそれは良しとしたい。

画像: ハーバータウンゴルフリンクス

ハーバータウンゴルフリンクス

「スコティシュへの回帰」を唱えたコース設計家のピート・ダイは、プレストウィックGCを訪れ、枕木をコース内に使うことを思いつき、初期の作品といえる、オハイオ州にあるザ・ゴルフクラブやサウスカロライナ州ヒルトンヘッドにあるハーバータウンGLで試み、日本で設計したPGMマリアGLでも枕木が使われた。

文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中

第1回「ウィッカーバスケット」

第2回「ブラインドホール」

第3回「ケープ」

第4回「リンクス」

名コースの歴史!

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