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1984年日本ジュニア出場「50人」アンケート。練習量は?ラウンド数は?

「三羽ガラス」の登場で競技人口が増加したジュニアゴルフですが、それ以前はどうだったのか。第1回日本ジュニア(昭和32年)は大学生を含め開催されました。出場者は18校100人。第2回大会から出場は高校生以下となり73人。第10回の記念大会は98人が参加し、中学生は7人でした。第13回大会、「ANO」のひとり中嶋常幸が中学生で出場し、「怪童出現」と騒がれた大会です。嵐山CC(6870ヤード、パー72)を「79」、「78」で回り7位に入っています。

大会史上初のアンダーパーによる優勝は、第18回大会(昭和49年)。「三羽ガラス」のひとり湯原信光が36ホールを1アンダーで回り初優勝を飾っています。第15回大会から会場を現在と同じ霞ヶ関CCに移し、東コース(6934ヤード、パー72)で行われました。2ラウンド目、湯原は「67」のアマチュアコースレコードで回り、長打と技術の向上が報じられました。

9年後の第27回大会、再び「怪童」が出現します。2位に11打差、54ホールを大会最多アンダーパーの6アンダーで優勝した川岸良兼が初優勝を飾ります(翌年も優勝して連破)。12のパー5で8個バーディを奪い、長打力が話題となりました。

この年、日本ジュニアに出場した「50人アンケート」を週刊ゴルフダイジェストは次のようにまとめています。

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今年の日本ジュニア選手権に参加したのは全国から中高男女あわせて約190人だった。内訳は高校男子が圧倒的に多く、約150人。次いで中学男子の約20人といったところが続いている。

これら参加者から男女、学年の別なくアトランダムに50人を選び、各種のアンケートを試みた。使用クラブについては皆一級品。練習もたっぷり行い、ゴルフ場でのラウンド回数もその多くは一般サラリーマンより恵まれており、費用はほとんど親がめんどうをみる。父親の職業も会社社長や役員、自営業といったところがほとんどだ。

日本ジュニアに出場できる腕前を持つには、常日頃からの練習以外に金銭的に潤っていなければならないということだ。もちろん、中にはゴルフ場でキャディのアルバイトをし、そのかわりにラウンドさせてもらい、ゴルフ代はかからないというジュニアもいる。しかしこれは例外の部類だ。

ゴルフを始めた動機や年齢も調査した。動機については50人中45人までが、「親の勧めで」と答えている。その中の2人は「強引にやらされた」と返答しているが、これは将来プロゴルファーにでも仕立て上げ、大いに稼がせようって思惑から? 自発的にゴルフを始めたクチでは、その理由として「個人競技は自分を試せる」、「小児喘息を治すため」、「ニクラスをテレビで観て憧れた」などをあげている。

ゴルフを始めた年齢は中1からというものがいちばん多かった。数は15名。次が中2で8名。3番手が小6と中3が6名。最も早く始めたのは小2で、遅く始めたのが高2となっている。

将来については、プロゴルファーを目指すため高卒後ゴルフ場に就職するという2人を除いては、全員が進学を希望し、その多くは大学でゴルフ部に入部しようと思うと答えている。

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この話は1984年のことですが、現在の状況と比べるとどうでしょう? 始める時期については早まっているのは確かで、将来についてはプロゴルファーを目指しているジュニアも変わらずいるでしょう。費用についても親がめんどうをみる点は変わっていなく、むしろ練習場やゴルフ場でアルバイトしてそのかわりに球を打たせてもらう、ラウンドさせてもらうというジュニアがどれだけいるのか。

▶▶▶次ページで「1984年のトップジュニアの練習量など」を紹介

画像2: golf-digest.co.jp
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