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使用ギアにも影響を与えた「三羽カラス」。ドライバーは『ホンマ』、ボールは『レクスターB2』
子供がゴルフをやるなんて――。今でこそそういったことを言う人はかなり減ったように思いますが、1980年代まではジュニアゴルファーは特別視されていました。
日本は高度成長期。ゴルフの大衆化が進みサラリーマンの多くがゴルフをやるようになりました。青木功、尾崎将司、中嶋常幸。「AON」が毎週のようにトーナメントで優勝を競い合い、その模様がテレビによってお茶の間に届けられました。週末の午後になるといゴルフにハマッた父親がゴルフ中継を観る。その傍らに子供がいる。「お前もプロゴルファーになって将来稼いでみるか……」。こんな会話が交わされていても不思議ではありません。
1981年、日本ジュニア、日本学生(4連覇)、日本アマ(3連覇)。アマチュアタイトルを総なめにした倉本昌弘がプロテストに合格。同年、学生ゴルフ界で注目を集めていた日本大学ゴルフ部の後輩、湯原信光、専修大学ゴルフ部の羽川豊がプロ入りし、「三羽ガラス」と呼ばれ「AON」に割って入ります。「AON」VS「三羽ガラス」によって男子プロゴルフが大いに盛り上がりを見せました。
1984年7月に週刊ゴルフダイジェストが報じた「錦ヶ原少年ゴルフ団」。荒川河川敷のゴルフ場で行われた日本ジュニアにつながる関東ジュニア予選は8ブロックに分かれ「1126人」の少年少女が参加。この年から前年まで開催していた「浮間ゴルフリンクス」(18ホール)から、36ホール使用できる大規模の「錦ヶ原ゴルフ場」に会場を移したことからもジュニアゴルフが盛り上がりを見せていたことがわかります。その背景には間違いなく、「三羽ガラス」の登場が影響していたと言えるでしょう。
この年、週刊ゴルフダイジェストが日本ジュニア出場50人のアンケート調査を行っています。その調査からも「三羽ガラス」の影響がわかります。調査項目は、「使用ギア」、「練習・ラウンド回数」、「学業成績」、「小遣い」、「親の職業」の5項目。
「AON」、「三羽ガラス」の当時の使用ギア。(1W=ドライバー、I=アイアン、B=ボール)
●青木功/1W:パワービルト、I:パワービルト、B:マックスフライ
●尾崎将司/1W:マグレガー/I:ブリヂストン/B:レクスターB2
●中嶋常幸/1W:ミズノ/I:ミズノ/B:レクスターB2
●倉本昌弘/1W:ホンマ/I:スポルディング/B:レクスターB2
●湯原信光/1W:ホンマ/I:ベンホーガン/B:レクスターB2
●羽川豊/1W:ホンマ/I:ミズノ/B:レクスターB2
50人の調査結果は、ドライバーがホンマ21人、ミズノ4人、パワービルト4人、マグレガー3人、その他18人。3羽ガラスがそろってホンマを使用していることから、約半分がホンマのドライバーを使用しています。
ボールに関しては、メーカー別ではダンロップ21人、ブリヂストン19人、タイトリスト6人。銘柄ではブリヂストン「レクスター」が16人、ダンロップ「DDH」が15人となっています。レクスターには「ADレクスター」、「レクターB2」、「レクスターSV」の3銘柄が混在していますが、当時三羽ガラスが広告塔になっていた「レクスターSV」が5人、「レクスターB2」が10人、「ADレクスター」が1人ということからも、広告もしくは実使用情報がジュニアゴルファーの心をつかんでいたことがわかります。ちなみに、「DDH」は当時糸巻きより20ヤード飛ぶと売り出されていた2ピースボールで単独銘柄では使用数トップ。ジュニアゴルファーでも飛び系ボールが人気だったことがわかります。
