ボビー・ジョーンズ以来アメリカ最高のアマチュアと謳われたジェイ・シーゲルが4月18日膵臓ガンによりこの世を去った。享年81。その生涯を振り返る。
画像: 2004年の全米シニアオープンのジェイ・シーゲル(写真:Getty Images)

2004年の全米シニアオープンのジェイ・シーゲル(写真:Getty Images)

79年の全英アマに勝ち、82年と83年に全米アマチュア選手権で連覇を達成したシーゲルは、83年に全米ミッドアマチュア選手権でも優勝。生涯アマチュアを貫き全米・全英アマで優勝した球聖ボビー・ジョーンズと並び称されるようになった。

全米ミッドアマはトータル3勝、マスターズではローアマに輝くこと3回。全米オープンと全英オープンでもローアマのタイトルを獲得している。それほどの実力がありながらなぜプロにならなかったのか?

アーノルド・パーマー奨学金を得てパーマーの出身校ウェイクフォレスト大学に進学した頃はプロを夢見る青年だった。しかし左手を窓ガラスで負傷。70針を縫う大怪我だった。

「物事には必ず理由がある」と考えた彼は、プロの道を断念し保険事業を立ち上げ大成功。その傍らトップアマとして数々の栄冠に輝いた。英米チーム対抗戦ウォーカーカップには9回出場して2回プレーイングキャプテンを務め、33戦18勝5敗10分けの好成績。チーム8勝に貢献した。

90年代になるとシニアツアーが人気となり、シーゲルも50歳を機に一念発起しプロ転向、シニアツアーへの挑戦を決意。94年にデビューするとすぐにGTEウエストクラシックで優勝しルーキー・オブ・ザ・イヤーにも輝いた。通算8勝を挙げている。

90年半ばに来日しイベントに出場したシーゲル。最強アマはどんな人物か興味津々だったが物静かな紳士だった。

穏やかな表情でプロを断念した若き日を振り返り「後悔はありません。怪我は私にとって僥倖(ぎょうこう)だった気がします。大好きだったシニアの選手と一緒の舞台に立ててとても楽しい」と語っていた。ご冥福をお祈りします。

※週刊ゴルフダイジェスト2025年5月13&20日合併号「バック9」より

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