スポーツ界には、運命の巡りあわせによってその時代の天才が同じ学校に集って黄金期を築くことがある。甲子園を沸かせたPL学園の桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」が活躍した同じ頃、日体荏原高校に3人のジュニアゴルファーが集まった。伊澤利光、丸山茂樹、そして「今回の連載」の主人公、西川哲である。全国高校団体優勝の主軸として活躍し、日体荏原黄金時代を築いたメンバーのひとり。個人でも関東高校3連覇、日本ジュニアのタイトルも手中に収め、プロ入り後もツアー3勝を挙げた。伊澤、丸山だけでなく、多くのプロゴルファーが一目置く「西川哲のゴルフ」。これまで多くを語らなかった西川だが、その内容は意外なものだった。

大人のスウィングを見ることから始まった「西川のゴルフ」

1991年の8月下旬、「マルマンオープン」で西川は尾崎健夫とのプレーオフを制し、ツアー初優勝を果たした。プロ入り4年目に花を咲かせた天才はその後、1993年の「デサントクラシック マンシングウェアカップ」、1995年「日経カップゴルフトーナメント 中村寅吉メモリアル」で勝利し、ツアー3勝を挙げている。

輝かしい成績を見れば「天才」と称されていたことに何ら違和感を抱かない。しかし「ゴルフを始めてから今日に至るまで、とにかく練習をした」と西川は話す。

西川のゴルフは「眼で覚える」ことから始まった。

「ゴルフにはじめて触れたのは7歳の時。父親に芝ゴルフ練習場に連れられて、父親が打っているのをただ見せられていました。それだけじゃつまらないから、周りの人のことを見ていたんですよ。『あんな打ち方したら、右に曲がるんだ』みたいなことを観察していました。
 
毎日連れられていたので、父親や周りにいる人たちのことをずっと観察していましたから、『なんであんなに練習しているのに、上手くならないんだろう』なんて思っていましたね(笑)」(西川・以下同)

周囲を観察しゴルフスウィングのイロハをふんわりと掴んでいった。そんな暇つぶしがその後のゴルフ人生に生きてきた。

最初は周囲の観察から始め、スウィングのイロハを自分なりに落とし込んでいた

父親の打っている姿を見せられる日々が3年ほど経った頃、初めて打席後ろの椅子ではなくマットに立つことができた。

「父親にちょっと打ってみろと言われて、初めてクラブを握って球を打ったんですよ。今まで周りを観察していたおかげか、球に当てられたので、『おまえゴルフやったことあるのか? 何でそんなに当たるんだ?』と言われたのを覚えています」

父親に言われるがまま打ちっ放しに連れられ、見ているだけだった日々から一転し、本格的なゴルフ人生がスタートした。

「『ゴルフやりたいか?』と聞かれて、『やりたい』と答えたんですよ。父はとても厳しかったので『やるからには上手くなれよ。毎日練習しろ』と言われましたね」

側で父も球を打っていたが、細かい指導というものはなかった。言われたとしてもアドレスのことくらいで、スウィング矯正のようなことは言われなかった。「今思えば変な癖が付かずに、自分の個性を生かせたのは大きかったですね」と振り返る。

小学4年からクラブを握り、毎日球を打つこと2年。ラウンドデビューが決まったのは小学6年の時だった。

▶▶▶西川がアマチュアを指導して初めて気づいたこととは?

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