
プロゴルファー西川哲
19歳でプロテストをトップで合格(当時の最年少記録)。レギュラーツアー3勝の実績を持つ。現在は「バーディ赤坂24」を主宰。
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天才ルーキーとAONの縁
日体荏原高校で「緑の甲子園」を勝ち、高校3年には「日本ジュニア」で優勝とジュニアゴルフ界のビッグタイトルを手にした。西川自身の長いゴルフキャリアの中でも「高校2年から高校3年は1番ゴルフが上手かった」と振り返るほどだ。クラブを握れば自分が思い描いた球道で飛ばすことができ、おもしろいように狙い通りの場所に落とせた。ここまで積み上げてきた技術と実績を踏まえれば進む道は自然と決まった。
高校を卒業し、研修生としてゴルフ場で働きながらプロを目指した。19歳になった1988年にプロテストに一発合格。鳴物入りでプロの世界に飛び込んだ。
天才がプロの門をくぐった同じ年に東京ゴルフ倶楽部では3強が相見え、日本のゴルフファンを魅了していた。昭和最後の日本オープンは、4日間を通して「AON」を中心に繰り広げられた。

1988年 日本オープンの表彰式で談笑するAON
初日はノーボギー、4アンダーの67でジャンボ尾崎が首位。一方の前年度覇者の青木功は3オーバー、中嶋常幸は4オーバーと遅れをとった。
2日目、尾崎は初日とはうってかわって4ボギー2バーディの73と勢いに乗り切れなかった。中嶋は前半をパープレーで凌ぎ、後半に3つのバーディをもぎ取り68。それに続けと青木も69と共に通算1オーバーで4位タイにつけた。3者のゴルフは対照的な内容だったが依然として尾崎は首位をキープした。
3日目は雨が降りしきる中、中嶋がイーブンで回り通算1オーバーで首位に立ち、尾崎は4オーバーを叩いて2位タイに後退。青木も6番でダブルボギーを打ち精彩をかいて通算3オーバーの4位タイ。
この時点でリーダーボードにはアンダーはおらず、日本最高峰らしい厳しい戦いを物語った。そして最終日、前日の雨の影響で芝は水分を含み、少し打てば穴だらけになるタフなライコンデションだった。最終日は尾崎と中嶋は最終組、その前を青木が進んだ。
4位タイからのスタートだった青木は前半1アンダー。しかし後半に3つのボギーで通算5オーバーで先にホールアウト。前日首位に立っていた中嶋は前半を2オーバー、後半の頭で1つ戻すものの15番でボギー、16番ではダブルボギーを打ち4オーバーでフィニッシュ。そして尾崎は前半を3オーバー、後半は13番とロングパットを沈めた17番それぞれでバーディをもぎ取り通算4オーバー。終わってみれば尾崎がカップを掲げ、1打差の2位タイに青木と中嶋が並んだ形になった。
日本ゴルフ史に残る名勝負を繰り広げた3人のうち2人が、天才ルーキーのゴルフ人生に影響を及ぼすことは、まだ誰も予想はしていなかった。