1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材し、現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員として活動する吉川丈雄がラウンド中に話題になる「ゴルフの知識」を綴るコラム。第26回目は、ほぼ同時期に造られた2つの北海道最古のコースについて。

競馬場に造られた幻のコース

画像: 函館GC:6番ホール

函館GC:6番ホール

北海道のコースは1960~70年代に造られたものが大半だ。雄大な地形を活かした造成により、本州のコースとはかなり異なる印象を受ける。

最初にできたコースは、1927年開場の函館GCとされている。

日本銀行函館支店長の君島一郎は、ロンドン支店赴任中にゴルフを覚え、函館に着任してからは函館の柏野でボールを打ち、人を雇ってキャディとしていたが、やがてティーイングエリアやグリーンを設定してゴルフを楽しんでいた。もちろんコースとは呼ばないレベルの造りだった。

ある日、ニューヨークでゴルフ倶楽部に入会していた青年の平野信男が君島一郎を訪ねてきた。訪問の目的はゴルフ場を造ることだった。候補地は競馬場の柵内で、平野がアメリカでの経験と知識を生かしてレイアウトを作成。芝は横浜から取り寄せ、6ホール、1860ヤード、パー24の規模だった。この6ホールを3回プレーして18ホール、5580ヤード、パー72とした。君島は地元の財界人を口説き資金を調達した。

1927年11月3日、会員15名の函館ゴルフ倶楽部を設立。コースの開場は11月13日で、北海道最初のコースが誕生した。

競馬場だから当然競馬は開催され、その日のプレーは禁止となる。馬の調教中もボールが飛び込むことから危険とされプレーはできなかった。1936年9月6日、函館の湯の川温泉を見下ろす上野の高台に9万2000坪を使い日本のゴルフ黎明期に活躍した赤星四郎の設計で9ホール、3100ヤード、パー36のコースを完成させた。高台だったことから景観に優れ「見晴らしコース」と呼ばれ親しまれた。

画像: 現在の函館ゴルフ倶楽部。高台から雄大な景色が広がる

現在の函館ゴルフ倶楽部。高台から雄大な景色が広がる

同じ27年の4月29日、佐藤棟造が記した日記には「4月29日天長節/色内8時37分発銭函9時5分着/銭函海岸の芝地にてゴルフをなす/ウッドンクラブにてフルに打つ快さ」とある。北海道で最初にゴルフをしたと記述された佐藤棟造の日記だ。佐藤は三菱系のビジネスマンで鳴尾GCの会員だった。

海に接する銭函海岸の原野はリンクスの趣があり「ここに北海道最初のリンクスを造ろう」と考えた。市内にインドア練習場を造り、小樽の財界人を集めて小樽ゴルフ倶楽部を設立。コースは銭函海岸の3ホールだけだった。正式な会場は1928年4月5日とされる。銭函の海岸で佐藤がボールを打ったのは1927年4月29日だがまだ海岸沿いの原野でコースはなかった。

このことから柏野でボールを打ち、その後コースを完成させた函館の方が時間的には早く、北海道最初のコースとされる。

「函館か、それとも小樽か」という論争もあるが海外でゴルフを覚え、赴任先の北海道にまだコースがないことから「コースを造ろう」と2人のゴルファーがほぼ同時期に行動したことは興味深い出来事だといえるだろう。

文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中

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