
1時間にも及ぶインタビューに真摯に応えてくれた中野麟太郎
苦悩の1年:ケガ、孤立、そしてプロへの危機感
2024年APGC後の1年間は、中野にとって苦悩の連続だった。まず左手のケガで約1カ月間ゴルフができない日々を経験。ケガの原因も分からず、不安を募らせた。
ケガが治った後、プロへの道筋を見据え、オーストラリアンオープンなど海外ツアーへ挑戦する。この時が、彼にとってプロ意識が明確に芽生えた瞬間だった。
「初めて生活のほぼすべてを一人でやることになり、ご飯を作ったり、運転したり、生活をするのがすごく大変でした」
初めて単身で挑んだ海外ツアーは予選落ち。「経費とかをしっかり調べてみたら『(予選落ちでは)プロでやれないな』って」と強烈な危機感を持ったという。しかし、この経験をバネに26位までに出場権が与えられるオーストラリアツアーのQTを16位で突破。この約2カ月間で、今までの課題だった「海外環境に弱い」という部分を一つ乗り越えられたと語る。
リンクスの洗礼と「風に強い球」の習得
海外での挑戦は続く。初めて挑んだセントアンドリュース(セントアンドリュース・リンクストロフィ)では、「リンクスコースというものが全く違くて。セントアンドリュースでボコボコにされて予選落ち」という洗礼を浴びた。
ここで、中野は大きな転機を迎える。JGAのコーチであるライアン・ラムズデンさんから、リンクスの攻め方や、「風に強い低めの球を打つスウィング」を習得。その結果、今年6月にロイヤルセントジョージズで開催された全英アマではマッチプレーの16位まで勝ち残る快挙を達成した。「これでまた一歩上に上がれた気がしました」と、海外の舞台で着実にレベルアップを果たした。
「中野麟太朗」として、世界を挑む
中野は、日本に戻ってきたとき、技術力は上がっているにも関わらず、試合で結果が出ない「もどかしさ」を感じていた。その背景にあるのは、海外で通用する「世界の思考」と、日本独特の環境とのギャップだ。
「なぜか日本では『期待に応えられないんじゃないか』というのを思い込んじゃうことがあります」と、精神的な壁を吐露。しかし、海外の「ネガティブなことを言わない」考え方や、「次の未来のためのゴルフ」をする姿勢を学び、自身のゴルフに取り入れている。
2025年APGC(UAE)は、2024年大会の3位という結果を越えるためのリベンジの舞台だ。
「2024年の3位というリベンジも含め、優勝です」と、最大の目標を宣言。アマチュアとしてマスターズ&全英OPに出られる権利と、「アジア一」の称号を同時に手に入れたいという。

インタビューは昨年のアジアパシフィックアマの開催地「太平洋クラブ御殿場コース」。あいにくの曇り空だったが取材中は富士山頂だけはずっと見えていた。「アジア一」という高みに向けた「力強く揺るぎない志」が、天に通じた最高の吉兆ではないだろうか
最終的にはPGAツアーに行きたいという目標を持つ中野は、「誰かの『2世』みたいに言われるのは正直好きではありません。『中野麟太朗』として、唯一無二の存在になりたい」と強い覚悟を見せる。
彼は今、優勝を狙ってガツガツ攻めるのではなく、「チャンスが来た時にちゃんと取れるかどうか、そのためにコンディションを整えること」に集中している。ケガと敗戦を乗り越え、メンタルと技術を磨き上げた中野麟太朗が、アジア一の称号とマスターズ&全英OPの切符を掴むための挑戦が始まる。
取材協力/太平洋クラブ御殿場コース
撮影/岡沢裕行