
山本太郎-Taro Yamamoto 1993年生まれ、和歌山県出身。日本大学卒業。アセットテクノロジー所属
GD: 山本選手は和歌山県出身ですよね? ゴルフを始めたきっかけは?
山本: はい、和歌山の白浜の出身です。パンダで有名でしたが、今はパンダがいなくなってしまいまって……。12歳まで野球をやっていたんですが、そこからゴルフを始めました。親がゴルフをやっていたんですが、それで打ちっぱなしについていったのがきっかけですね。
GD: 野球のポジションは?
山本: エースで4番でした。白浜の大谷翔平だったんです!(笑)
GD: 野球にのめり込んでいたのになぜ急にゴルフに?
山本: ボールが野球よりも狙ったところに打てないことにハマっちゃって。小学校6年から中学に上がるタイミングだったんですけど、中学が部活に入らなくちゃいけない学校で。田舎でゴルフ部もないので、それでゴルフのために体力をつけようと陸上部に入ったんです。
GD: そんなにゴルフにハマっちゃったんですね?
山本: ハマりましたね。だからゴルフの練習は部活が終わったあとで練習場で毎日10時までやっていましたね。最初は試合とかがあることも知らなかったので、練習場で思ったところにどうやったら打てるようになるかをがむしゃらに練習していました。そしたら1年で70台が出て、周りから試合に出れるぞって。それで大阪とかに遠征をしたりしていたんですが、中2の時に全国大会(全国中学校ゴルフ選手権)に出られて、浅地さん、竹安さん、佐藤大平さんらもいて、バカ上手くて。その時に上手い人は上手い人の輪があって、どうしてもそこに入りたいって思ったんです。その頃、和歌山県はジュニアで有望な選手っていうのがいなくて、国体でもジュニアの部でゴルフで出場したことがないほどだったんです。それもあって、自分らが頑張ったことを認めてくれて、ゴルフ環境を整えてくれたんです。目土をすれば県内のゴルフ場ならどこにいってもタダにしてくれたり、練習場でも何かお手伝いすればタダで打たしてくれたり。

野球からゴルフに転向しました
青木功さんとの縁
GD: 中学を出て高校は大阪学院?
山本: そうです。寮があることが条件で、大阪桐蔭の井上先生がいいという話を聞いていたのでそこを受けようと思っていました。けれど、井上先生が大阪学院に行くと言われて。それで大阪学院を受けようって話にはなったんですけど、寮がなくて。そうしたら井上先生にほかの大学生と一緒に、1、2年暮らせと言われ……。その間に井上先生が寮を作ってくれたんです。
GD: 和歌山で環境変えたり、高校で寮を作ってもらったり。ある意味で革命児ですね。
山本: そんないいもんじゃないですけど、切り開くしかなかったからやれたんだと思います。
GD: 和歌山でご両親は旅館をやっていたという話を聞きましたが?
山本: そうなんです。今はもう売ってしまったんですが、実は父親と青木功さんが仲が良くて。その旅館にも温泉に入りによく来てくれていたみたいなんです。うちの母親もチエさん(青木功の奥さん)にはすごくお世話になっていたようです。自分は赤ちゃんで記憶はもちろんないんですが、世界の青木にオムツを替えてもらったこともあったみたいなんですよ。
GD: すごい話しですね。でもそう考えると野球からゴルフに突然乗り換えたのも何かの導きがあったのかもしれませんね。
山本: 自分は赤ちゃんで旅館時代のこともあまり知らないんですが、プロになってから青木さんとご一緒させてもらい当時の話をいろいろ聞くと、本当に青木さんにはお世話になっていたようです。活躍したらいつかゴルフダイジェストで青木さんとの対談実現させてくれませんかね?(笑)
===
高校を卒業後は日大に進み、ある意味で順風満帆のように見える山本選手ですが、卒業年に受けたファーストQTの際にカートが横転する事故にあってしまい、それでゴルフはもうできないと医者から言われるほどの怪我を負ったそうです。それでもプロになることを諦めなかったのは、それだけゴルフに全てをかけてきたという自負があったから。不屈の信念を曲げることなく取り組み姿勢が、ツアーでもかならず身を結ぶはず。一度聞いたら忘れないこの名前を来年はぜひツアーで広めてもらいたいものです。
文/出島正登


