11月15~26日、日本で初めての「デフリンピック」が東京で開催されます(アジア圏では台湾の台北大会に次ぎ2番目)。競技数は21。今回で3回目となるゴルフ競技は11月18~21日、若洲ゴルフリンクスを舞台にアツい戦いが繰り広げられます。日本代表選手は5名。NPO法人日本デフゴルフ協会の事務局長でもある袖山哲朗(37)、前島博之(37)、渕暢之(49)、辻結名(19)、中島梨栄(41)です。
今回は、選手たちが所属している日本デフゴルフ協会の歩みとデフゴルフの環境の変化について聞いてみました。
澤田謹吾理事長によると、協会の歴史は約30年。1997年4月に設立された「日本デフゴルフ連盟」から始まります。
「約30年前までは、聴覚障害者がゴルフをプレーすることについて、『ボールが当たる危険がある』『キャディとのコミュニケーションが取れないのではないか』と不安視するゴルフ場も少なからず存在しておりました。このような状況のなか、聴覚障害者ゴルフへの理解を広め、聴覚障害者同士の交流を深めることを目的に、全国の聴覚障害者ゴルフ愛好グループが集まり連盟が設立されたのです」
その後、2012年に世界デフゴルフ選手権大会の日本開催が決定したことをきっかけに、任意団体から公的に認知された組織への改組が急務となり、2009年9月、「特定非営利活動法人 日本デフゴルフ協会」へと改称、設立されました。
「以降、テレビドラマによる手話ブームの後押しもあり、徐々にゴルフ場側の理解が広がり、国内競技事業をはじめ国際競技事業を中心に、持続的な活動を展開してまいりました。なお、コース情報などにつきましては、キャディまたは同伴の健常者から取得しておりました」
そして、「デフリンピック」の東京開催決定や、2025年の「手話言語法」の国会成立などにより、聴覚障害者に対する社会的理解が大きく進展したと言います。
「現在では、健常者のプレーとほとんど遜色なく、ほぼすべてのゴルフ場においてプレーが可能となっております。当協会では、従来の国内競技事業・国際競技事業・交流事業に加え、デフリンピックゴルフ競技事業や普及啓発事業など、活動の幅を一層広げております」
近年のデジタル機器やAIの普及、進歩は、デフゴルフ界に明るい光となっているそうです。
「乗用カートナビゲーションの普及により、コース情報や前組との距離情報を即時に把握できるようになり、安全かつ円滑なプレー環境が整備されております。今後は、生成AIによる手話通訳システムの活用により、健常者とのコミュニケーションに支障が生じることがなくなり、ゴルフ場内のみならず、より幅広い人的交流の拡大が期待されます。これにより、聴覚障害者一人一人の人生がさらに豊かになることを願ってやみません。また、健常者競技団体との連携、外部人材の活用、デジタルマーケティング分野への参入などを通じて、組織運営の価値向上が見込まれます。さらに、デフリンピックゴルフ競技選手の活躍を契機として競技への関心が高まり、強化指定選手の増加と競技水準の一層の向上が期待されます」

袖山哲朗と由美さんはご夫妻。二人三脚で世界を経験し、デフゴルフ界を盛り上げている。「世界大会を経験すると新しい企画のアイデアも思い浮かびます」(哲朗)「チームの作り方も参考になる。ドイツチームがトラックマンなどを使う姿を見て環境整備も大事だなと。実際取り入れて、技も成績も上がったんです」(由美)。言葉を発しながら手話を使い、熱意を全面に出して語ってくれた。(2人の「情熱」については、週刊ゴルフダイジェスト11月25日号にて紹介しています)
インクルーシブゴルフ、共生社会につながるものとは?
さて、協会会員は約50名。全国聴覚障害者競技人口は約100人と言われています。2024年の第14回世界デフゴルフ選手権大会では、一般男子団体戦では史上初の銅メダルを獲得の快挙、個人戦では6位(前島博之)、8位(渕暢之)入賞。女子個人戦でも銅メダル獲得(辻結名・ジュニア女子個人戦でも銀メダル獲得)、シニア個人戦でも銅メダルを獲得しました。年々、競技としてのレベルも日本チームは上がっているのです。
協会の事務局国際担当、世界デフゴルフ連盟事務局メンバーでもある袖山由美さんはこう語ります。
「日本デフゴルフ協会及び世界デフゴルフ連盟が創立されたきっかけは交流が目的です。これまで自分と同じような聞こえない選手と巡り合えなかったからです。同じ聞こえない者同士でゴルフを楽しめたらいいなと思ったのがきっかけになっています。そのため当初は競技志向ではなくゴルフをしながら交流を楽しもうという感じでした。ハンディキャップもゆるく、ゴルフを知っている人であればという感じでした。聞こえない仲間が増えていくと、有能な選手も生まれてきます。だんだん競技志向の選手が増えていき、世界デフゴルフ連盟は2010年に初めてR&A役員を大会招待に成功します。当時はスコットランド大会で袖山哲朗選手(現・協会事務局長)が孤軍奮闘で7位となったけれど、他の日本人は交流を楽しみに来たという温度差があり、彼は泣いていました。『オレは日本のプライドのために頑張っているのになんでへらへらしているんだよ。その順位で恥ずかしいと思わないのか!!』と!」
競技ゴルフのレベルアップとゴルフ人口の普及は表裏一体、どちらも欠かせないものであり、両立して初めて広がりはできてくるものだと思います。これこそ真の“インクルーシブゴルフ”、共生社会につながるものです。
「2012年世界デフゴルフ選手権三重県大会では初めて、R&Aから大会に助成金が下りるようになりました。最初の助成金の条件はレベルアップすること。そのため大会ごとに男性のハンディキャップは厳しくなっていきましたが、女性のほうはゆるいです。なぜならデフ女性ゴルフ選手が少ないため、厳しくすると条件に満たさず参加が見送られるためです。大会を重ねるうちに参加者が毎回同じような顔ぶれであることにも指摘を受けます。新しく突き出された条件はジュニアと女性の参加者を増やすことでした。こういった世界の流れによって日本デフゴルフ協会も生まれ変わっていきます(2017年にデフリンピックがゴルフ競技を導入したことをきっかけに「日本パラリンピック委員会(JPC)」に加盟しました)。

袖山が選手として狙うのはもちろん個人、団体のメダル。「助成金を受けている以上は、腕を磨いてレベルアップしたい」。そして、事務局としては“エンジョイゴルファー”の入り口でもありたい。「レッスン会などのイベントを作ったり、皆が楽しめるようなコンペなども開催したいです」
2019年に強化チームが出来上がり、助成金を受けながら強化選手の育成につながっております。ただいまの世界デフゴルフ連盟の使命は今後100年この組織が強く続けられるような環境作りに努めております」
さて、袖山由美さんが世界デフゴルフ連盟事務局に入った経緯もお伝えしておきましょう。ご本人がメールで詳細に説明してくれました。
「2021年12月に世界デフゴルフ連盟理事長から理事にならないかという打診が来ました。当時は全員6人が白人、男性でした。ある理事が都合により辞めてしまったため理事の1枠が空いていました。IOC→デフリンピック→世界デフゴルフ連盟という連携関係で多様性を重要としたため、これまでの私が通訳や12年の世界デフゴルフ選手権でのコーディネーターの仕事を見て下さった理事たちから、私自身がアジア人、女性ということで白羽の矢が立ちました。21年から22年に1年間暫定事務局になりました。そのときすぐに『R&A女性リーダーシップ』を受けないかと薦められ、内容を理解しないまま受けたら落ちました。これは女性リーダー育成のための国際的なゴルフ業界向けプログラムです。また、この時点では手話通訳もいないままの試験でした。

袖山の胸に輝く数々のバッジは世界での経験の証しだ。デフリンピックの観戦は無料。「当協会の強化委員会の取組により、日本代表選手団の競技レベルは、協会設立以来の最高水準に達しております。どうぞ観戦に訪れてください」(澤田理事長)
2022年の総会にて連盟メンバーから満場一致をいただき正式に事務局に入りました。そして、昨年もう一度R&A女性リーダーシップを受けてみないかと理事長から推薦をいただき、これまでの経験をもとに短い論文とブレインストーミングワークショップに参加したら受かりました。手話通訳も付いたんですよ。1月から6月までの6カ月、月1の3時間Zoomワークショップを受講していました。私のグループには10人ほどのいろんな背景の方が集まり、毎月討論をしてきました。7月には無事に修了証をいただきました」(袖山)
この経緯を聞いただけで、由美さんがいかにスーパーウーマンであるかおわかりいただけるでしょう。こういった熱意ある人々に支えられて、デフリンピックは開催され、選手たちは真剣勝負に挑むのです。みんなのゴルフダイジェストでは近日、東京2025デフリンピックのゴルフ競技日本代表選手を紹介します。
写真/小林司、日本デフゴルフ協会


