
DGA代表理事の松田治子氏と優勝したポスティゴ、2位の吉田。出場選手たちの国旗の下で、再び世界のどこかで戦うことを約束して!
優勝争いは、スペインのホアン・ポスティゴ(右下腿欠損)と日本の吉田隼人(右大腿切断)に絞られた。最終組、6打差でスタートするも前半を終えて2打差に。「追い上げられて緊張してしまった」というポスティゴ。後半の4番(パー4)で吉田が1打差まで詰め寄るも、5番(パー3)で痛恨のボギーとし再び2打差。しかし6番(パー4)で、ここまで調子のよかったティーショットを引っかけてOBとしダブルボギーで4打差。8番(パー5)は吉田バーディ、ポスティゴがボギーで3打差、最終ホール(パー4)では吉田がチップインバーディで意地を見せるも、ポスティゴも3.5メートルのウィニングパーパットを沈めて2打差をつけ勝者となった。「少しはプレッシャーをかけられたかな。最後のパーパットを外さないのはさすがです」(吉田)。

安定性抜群のドライバーの飛距離は260~270Y。「このコースは真っすぐ打たないとダメでした」(ポスティゴ)
16年に20歳で本大会に初出場したポスティゴは、「日本のDGA(日本障害者ゴルフ協会)が、ここまで競技性の高い大会に仕上げてくれた。また、アジアで初めて賞金がある大会を開催してくれて感謝しますし、そこで優勝できて嬉しく思っています。出場選手たちの高い精神やプレーに対しては高く評価できますし、大会関係者の皆さま、スポンサーさんやコースの方々などにもお礼を言いたい。来年はもっとたくさんのゴルファーが集ってくれればいいですね。僕もまた日本で戦えることを楽しみにしています。このコースはとても素晴らしく、チャレンジングで、ホワイトコースは風が強くてビッグチャレンジが必要、ブルーコースはとてもタイトで、狙いどころを決めて打たないといけない。またグリーンにはアンジュレーションがあってとても速く難しかったですが、とてもよいコンディションでした。僕が勝てたのは、他の人より少し経験が多いかっただけ。それが助けてくれました」と謙虚に語る。
ライバル吉田隼人は42歳だと伝えると、「20歳くらいに見える!」と驚く28歳。「とても素晴らしい競技者です。ストロング&ビッグドライブが素晴らしいのですが、ときどきティーショットがバラツクのでコントロールできたらもっとよくなりますよね」とアドバイス。今後の目標は「今、世界障害者ゴルフランキング(WR4GD)はトップ10なので、来年は3位以内に入りたいです」。来年は結婚も予定していて「彼女は天使。美しいだけでなく、とても頭がいいんです!」ととびきりハッピーな笑顔を見せてくれた。
「もったいないOBでした」と試合直後は悔しそうな吉田だったが、すぐに冷静に分析。「ホアンのアイアンの精度、ドライバーのコントロールの上手さは見習うべきだと思いました。ボールの拾い方が上手いので、セカンドの距離感がいいんですよね。飛距離は僕のほうがあるんですけど、生かせていない。アイアンの精度を1、2段階上げないと、海外の若い選手とは戦えません。練習の仕方も考えます」と次への課題を語った。

300ヤードドライブを見せる吉田隼人。「アイアンの精度はもちろん、ドライバーの精度も上げるように練習します」
「実は、ホアンが初来日したとき、一緒にラウンドしたんです。あのときは飛距離は同じくらいでお互いに曲げていた。ドライバーは飛ぶけどイマイチかなあ、なんて思っていたけど、今、彼が世界ランクの上位にいる理由はよくわかりました。でも僕も、彼のようにもっと精度を詰めていけばもっと上に行けると確信も持てた。頑張ります!」
自身が初めてメインビジュアルとなった大会ポスターにある言葉、「その先へ」を体現していく。

初出場のキースは、大会や選手たちの素晴らしさを讃え、日本のコースやキャディの“おもてなし”に感謝していた
オーストラリアから初参加したキース・ドビー(両下肢障害)は、「今、とてもよい気分です。コースはグリーンのコンディションがよく、他のいろいろな国のいいゴルフ場と比べて私のなかでは最高ランクでした。また、今日楽しめたのは、18年間働いているという業務に非常にプロフェッショナルなキャディさんがいたからでもあります。自分を“お殿様”のように扱ってくれましたよ」とキャディさんとの2ショットを嬉しそうに見せてくれながら、「そして、嬉しい再会がありました。今春、ロンドンのG4Dオープンで一緒だった大村実法(車椅子)さんが練習グリーンでアプローチしている姿を見て話しかけたんです。地球の反対側で再会できたことに感謝! 彼のプレーは車椅子に乗ってできる技ではない!! 何より嬉しいのが、他の国で出会った選手と、また他の国で出会えること。僕は明日、ポルトガルに移動して障害者オープンに出場します。明後日からさっそく練習ラウンドです」とこちらもまた「その先へ」向かっていった。
30年間で積み重ねてきたものは試合の実績だけではない。世界を股にかけた多くの“交流”や“つながり”というかけがえのないものも生み出してきたのだ。
撮影/増田保雄
