
「初めて会ったのは22年のプレーヤーズ選手権の視察で。たまたま練ランを見て、いいスウィングだしいい球を打つなあ、と感じました。それは今も変わりません」(佐藤プロ)
今年の日本オープンで間違いなく主役の一人だったのが原敏之くんです。片岡尚之くんとのプレーオフの末に惜敗。2週間後の試合会場で改めて、初優勝とマスターズの出場権、「逃した魚は大きい気がするけどどうなの?」と聞くと、「はい。でも嬉しいのほうが強いです」と割と冷静に安堵した感じで答えてくれました。
初シード権が決まってホッとしているという感じでした。四国、高松生まれ。父の影響でゴルフを始め独学で成長してきました。ジュニア時代の戦歴は圧巻です。05、06年に四国ジュニア(12~14歳の部)を連覇すると、06年には日本ジュニア(同部)を制します。
ちなみにこのときは3位に大堀裕次郎、5位に石川遼、11位に浅地洋佑、15位に今平周吾、木下稜介……と、今の日本ツアーをけん引する錚々たるメンバーが並んでいます。
長くPGAツアーのトップ選手として活躍する松山(英樹)くんの本に、〝人生最初のライバル〟としても登場します。「年に2回、四国のジュニア大会で会える数少ない同級生。たくさんゴルフのことも話せるけれど、負けたくない存在」と。
高校卒業後、大学には進まず、地元に残り21歳でプロ転向。四国の試合中心に出ていましたがなかなかQTに通りません。〝ライバル松山〟はアマチュアでマスターズのローアマ2回、太平洋VISA優勝とどんどん名を上げます。さらに続々と出てくる後輩たち。
ジュニア時代の成績というのは、ゴルフの世界ではプロになってもなかなか変わるものではなく、強い選手は小さい頃から強い。そうしたなかでも、かつて強かった選手が消えていくケースも少なくはない。原くんも消えてしまっても仕方のない10数年間を過ごしてきました。
転機となったのは18年、日本オープンで知り合った方の紹介で上京し、インストラクターとしてレッスン中心の生活になったことだと言います。30歳までにQTを通らなければ引退の覚悟で取り組み、21年に初めてファイナルに進出しました。22、23年にはチャレンジツアーで上位となり、24年はチャレンジで初優勝、レギュラーでは賞金ランク72位とジワジワと成績も上がってきました。
今年はISPSの大会で6位タイ、20位前後も数試合あり、15~20位フィニッシュすれば初シードという状況で日本オープンを迎えるのです。
日本オープンではとても調子がよく、「緊張はしたけどコースが難しく、目の前の一打一打しか考えられなかったのがよかったんです」と言います。
日本オープン後に謙虚で実直なインタビューがNHKという全国放送でも流れ好感度も高かったですが、普段からあのままの選手。ずっと変わりません。ボクの勝手なイメージは〝元高校球児で現在は役所に勤めるナイスガイ〟。きっと、人と比べず地道に努力し上にいく気持ちを持ち続けてきたことが、今につながったのでしょう。
いよいよかつての天才少年の本領発揮。松山くんとの同じ舞台での対戦も楽しみです。
撮影/姉崎正
※週刊ゴルフダイジェスト2025年12月9日「さとうの目」より
