
Qスクールを突破しPGAツアーの切符を手にしたマルセロ・ロゾ。写真は最終ラウンド18番ホールのパットを決めた瞬間のガッツポーズ(写真/Getty Images)
日が西に傾いたTPCソーグラス、ダイズ・バレーCの最終ホールで短いパーパットを沈め69をマークし全体の4位で念願のPGAツアー出場権を獲得したロゾは泣いた。
キャディと抱き合い喜びを分かち合うと帽子のつばを目深に被り亡き祖父と兄に黙祷を捧げた。2人は彼を突き動かす原動力だった。
アルゼンチン出身のプロゴルファーでコース設計家でもあった祖父・ビセンテさんは彼にとって最初のゴルフの師匠。9歳年上でアレルギーを改善するため鼻の手術を受けた際不幸にも感染症を発症し20歳の誕生日の数日前にこの世を去った兄・マテオさんは憧れだった。
大学のゴルフ部に入りたがっていた兄の願いをロゾが引き継ぎ大学でプレーしたあと12年にプロ転向。PGAツアー・ラテンアメリカでプレーし翌年には祖父の故郷でアルゼンチンオープンを制するなど3勝を挙げ19年にコーンフェリーツアーに昇格した。
ゆっくりではあったが着実に前に進んでいたが22年に手首を痛め手術を受けるも耐え難い痛みは続き9カ月間クラブを握ることすらできなかった。
当時は「ゴルフは大好きだけれど2度とこの世界(プロゴルフ)に戻ってくることはないと思っていた」。ちょうどその頃妻・マヌエラさんが長男ロレンゾ君を出産。家族を養うために転職を考え不動産業の免許を取得した。
しかし妻は夫が夢を諦めることを許さなかった。「ゴルフが上手くいかなかった数年間、彼女がすべてを背負って僕を支え続けてくれました」
23年後半に競技に復帰したが8回しか予選を通れずポイントランク128位に終わった。しかし今年は45位でQスクールファイナルに進出する権利を得た。
その裏には母国の先輩でPGAツアー5勝のカミロ・ビジェガスの存在があった。アメリカでの住まいが近いこともあり一緒に練習しさまざまな助言をもらった。
シードを落とし今回一緒にQスクールに出場していたビジェガスは「ロゾは信じ続けたんです。いつか夢が叶うと。それは我々へのメッセージでもある」という。
3日目まで好プレーを続けていたロゾが最終日の朝ビジェガスにこういった。「いつか調子が悪くなるはず」。好調が最後まで続くわけがないという恐怖心を打ち明けたのだ。
そのときの心境を本人は「何かが胸に詰まったような感じだった」という。胸のつかえを吐き出すため彼がやったのは誰もいない部屋で声を上げて泣きじゃくること。
それは22年にマスターズ初優勝がかかったスコッティ・シェフラーが最終日の朝、妻の胸で泣きじゃくったのと似ている。
じつはシェフラーのKFT時代に2人はエバンズ・スカラー招待(19年)でプレーオフを戦っている。もちろんシェフラーが優勝したのだが、そのときもしロゾが勝っていれば運命は変わっていたかもしれない。
泣きじゃくってようやく落ち着きを取り戻したがティグランドに上がると心は未来に飛びがちだった。
未来に心が行きそうになると足元を見下ろしこう自分にいい聞かせた。「気持ちを(現在に)戻せ。未来は無視しろ!」
3バーディ、2ボギーの1アンダーで迎えた最終ホール「人生で一番難しいパーセーブだった」という2オン、2パットのパーで長年の夢だったPGAツアーの扉を開いたロゾ。
妻とミッキマウスの夢中な息子は夫には知らせずクラブハウスの中庭にいた。携帯で夫の昇格を知り涙した妻。そこに1打足りずトップ5入りを逃したビジェガスも合流した。
「彼の思い、家族の思いを痛いほどわかっているから泣けてくる。仲間が夢を叶えて本当に感動した」と涙を流した。
ロゾはラウンド後のインタビューで何度も声を詰まらせながら息子にこんなメッセージを贈った。
「人生で簡単に手に入るものは何もない。でも努力すれば必ず夢は叶う」
@PGATOUR post on X
x.com【動画】Qスクール最終日のハイライトをチェック【コーンフェリーツアー公式YouTube】
A.J. Ewart's stellar play wins PGA TOUR Q-School
www.youtube.com

