“復活前夜”の尾崎将司が語ったこと

1983年8月31日号に掲載されたインタビューを再録、※当時の記事を再編集して掲載
──特にプロスポーツの選手はそうだと思うんだけど、いろんなことを考えすぎて、かえってパワーが落ちたりすることあるでしょう?
尾崎 デビュー当時っていうのは、ゴルフに対してものすごく集中力があったね。だから自分は単純計算でいけたわけだ。上からパーンッと叩く。トップがどうだ、バックスウィングがどうだなんて考えない。一番当たり前のことだけ考えてゴルフやっていたからね。
それに絶対人に負けないっていう自信があったしね。まあ、これは失礼な言い方だけど、ほかのプロゴルファーたちを見た時、スポーツ選手として体力が自分より勝っている人は1人もいないと思った。だからオレは、この人たちには絶対勝てる、そういう頭がいつもあったね。つまり、それだけの闘志があったと思う。
これが長嶋(茂雄)さんがよく言う「プラス思考」なんだよね。いいほう、いいほうに解釈していくと、それがプラスアルファのエネルギーを生んでいくという考え方だね。そういう思考が強かった。またそうやって勝ってきたから、自分が上なんだって見えるわけ。
──そうやって自分が見えちゃうと、自分が変わっちゃうでしょ?
尾崎 それからの目標っていうのは、普通は勝ち続けることだよね。それがあんまりね……。今の不調はその時に始まった。結局、ゴルフに対するひたむきな姿勢がなくなってきて、怠けグセがついて。
──それでもそこそこ勝ち続けてきたというのは、逆に「不幸」なことだったかもしれない。だから同じ時期にね、尾崎さんとつり合うもう1人、あるいは2人のゴルファーがいたら、変わんなかったと思う。勢いがね。
尾崎 上に登った人間が何をしなくちゃいけないか、ということが、その時のボクにはなかった。だからゴルフに対する情熱、追究っていうのが少しも新鮮な刺激として作用しなくなってしまう。こういうことってあるわね。
──でも、そういうのって男と女の関係とは違うのかもしれないけど、別の対象に向かえば、また新鮮さを回復できたりするでしょ?
尾崎 ボクの場合、結構よくない時間が長いからね。でもね、最近になって、ゴルフに対する情熱が自分の体の中で消えていないということを感じ取っているんだ。

長嶋茂雄流の“プラス思考”「体力が自分より勝っている選手は1人もいない。だからオレは絶対勝てると思っていた」
──切実に勝ちたいと思うでしょう。
尾崎 そりゃそうね。また勝った味ってのはいつでもいいしね。トーナメントの大小なんか関係なく、勝った時の嬉しさってのは、勝負師を職業としている人にとって人生最大の喜びだね。
──勝ちたい、何勝でも挙げたいっていうのはエネルギーになるでしょう。
尾崎 なるんだけど、実際に気持ちと体がアンバランスになるってこともあるよね。気持ちはあっても体がついていかない。ボクの場合も体のトラブルがあって、やる気がすごくあるから練習するんだけど体が動かない。
どうしてこういうズレが出てくるのか? そこでまた深く追究することになるんだよね。そうすると研究材料としてはいいケースだと思うけど、これだというふうに一本に絞り切れなくなっちゃう。
だから、そんな時、素直に誰かの意見を聞いて、とは思うけど、ボクの質問に正解を出してくれるっていう人はそんなにいないんじゃないか? これはボクのわがままだけれどね。実際はいるかもしれないけど、そこでボクは門を閉じてしまう。自分の内側で解決しようと。
──そこで門を閉じるのは尾崎さんのプライドでしょう?
尾崎 それはあるわね。やってきたことの自分のプライドですね。ほんとはね、ジャック・ニクラスのところの門を叩いて、「お願いします」っていうのが一番いいと思うけどね。一番尊敬している人に言われれば一番「効く」と思うんだよね。例えば悩みがあるとするでしょ、そのうち一つでも二つでも「これは悩まなくていいよ」って言ってもらえればそれでいいんだよ。
──スポーツ選手には、大きく分けるとね、天才肌のプレーヤーとコツコツ積み上げていく努力型のプレーヤーがいますよね。尾崎さんなんか天才肌の典型だと思うんですよね。
尾崎 うまくいったほうだからね。
──フッとおのずと身につけるものがある。ところが不器用な人間っていうのは、一つ一つ、こう石を拾ってきては積み上げていくみたいにやっていく。つまり石の積み上げ方はわかっているから、何かあったら、チェックし直すってことが可能なわけです。それが不器用な人なりのやり方。ところがフッと身につけてしまった人のチェックの仕方って、おのずと違ったものになると思うんですよ。
尾崎 だから天才型の人間っていうのは上昇していった過程を知らないんだよね。知らないから、「これはこうなんだよ」って自分の周りに冷静に判断して言ってくれる人が必要なんだ。
ところがボクの場合は何でも自分で「開発」していこうとするわけね。しすぎるかもしれないね。でも、しょうがないですわ。自分がそういう形になってしまっているから(笑)。
いま、すごく新しいものに取り組んでるって気持ちになっているね。ボクが目指しているスポーツとしてのゴルフはこういうもんなんだということを確立させるためにやっている。調子が良い悪いとは別のところでね。
──「これがゴルフなんだ」というところは具体的には?
尾崎 まあ、日本のトーナメントのゴルフコースっていうのは、コントロールして攻めていけばいいようなコースが非常に多いわけです。コントロールしていけばなんとかなるから日本には個性派ゴルファーが多い。極端に言えば、例えばショートゲームがうまい、球を曲げないフェード系のボールを打つ選手が多い。一番被害が少ないわけね。
コントーロルされているわけだ。ボクはそれは本当のコントロールとは思わないんですよ。アメリカに行ったらわかるんだけど、非常にコースが大きいし、長い。それに応じてスウィングの形成も違ってくる。すべてのクラブを使いこなしていくようなスウィングを作らなくてはいけない。
でも、実際にそれが日本のコースと合わなくて批判を受けたりすることはあるんだけどね。まあ、それはそれとして、ニクラスとかワトソンが目指しているスウィングっていうのは、いかなるコースでも、自分がこのスウィングをすれば、体でね(ボディスウィングで)クラブをスクエアに振ることによって、いつでも自分が要求する球が打てる。

「ニクラスやワトソンのように手先ではなくボディスウィングでボールをコントロールすること」
手先でコントロールした球じゃなくて、体でコントロールした球が打てるということだと思う。その点、日本人はどうしても上半身でコントロールしてしまう、手先のスウィングでね。アメリカの選手は体でコントロールする。ボクはこのほうが大正解だと思うんだよね。
ボディスウィングをちゃんとできる人間はいつでも確率の高いゴルフを追求できると思うんだ。そういう確率の高いゴルフスウィングをボクはやろうとしているんだ。
──こぢんまりするんではなくて、フルに体を使ってコントロールする?
尾崎 そう。体で覚えこんでしまう。だから体に変調をきたしている時は、ボールもおかしくなる。いつも体を万全にしておかないといけないわけだ。
スウィング、コンディショニング、トレーニング、この3つの“ING”でボディスウィング。
──一試合一試合のゲームの中ではなく、長いスパンを考えて?
尾崎 そうね、そういう気持ちはあるし、そうやっていかなくては先がない。ただねえ、トーナメントやっていると、予選カットとか優勝争いとか、表面的な「おいしさ」がちらつくんだよなあ。コースの上にはお金がたくさん落ちているし、それを拾えばいい。拾い方もいろいろあるけど、やはり、はかまを着て拾いたい気持ちなんだけどね(笑)。
◆INTERVIEWER・山際淳司
1980年「Sports GraphicNumber」創刊号に「江夏の21球」を執筆。この作品が大きな反響を呼び、スポーツノンフィクション作家としての地位を確立。「江夏の21球」を収録した作品集「スローカーブを、もう一球」で、1981年に第8回角川書店日本ノンフィクション賞を受賞。日本のスポーツジャーナリズムの草分け的存在。神奈川県横須賀市出身
※週刊ゴルフダイジェスト1月27日号「追悼 ジャンボ尾崎」より
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デビューから破竹の勢いでトップに君臨しながら、1980年代初頭の長いトンネルにいたジャンボ尾崎。後編では、静かな闘志を燃やす彼が、自身のゴルフ理論の真髄と、避けては通れない「宿命のライバル」たちの存在を語り尽くしている。「この気持ちがなくなったら、もうゴルフはやめている」。苦闘の最中にあった30代のジャンボが、ノンフィクション作家・山際淳司にだけ見せた“復活前夜”の素顔。その全貌は、Myゴルフダイジェスト・週刊ゴルフダイジェスト1月27日号で確認。





