
芝の上のパラアスリートたち。一番左が大岩根選手、左から2番目が日本代表の旗手も務めた小須田選手。パラスノーボード競技は、7日、8日、14日に行われます。NHKでの放映もありますので、ぜひご覧あれ!
日本勢が大活躍したミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックの余韻も冷めやらぬなか、6日からはミラノ・コルティナ2026冬季パラリンピックが開幕しました。本大会のパラスノーボード競技の日本代表として、パラゴルファーとしてもさまざまな試合に出場している小須田潤太(35歳)選手と大岩根正隆(45歳)選手が出場します。2人とも前回の北京大会に続いての出場となります。
以前、週刊ゴルフダイジェスト(24年9月17日号掲載)で、2人の姿を紹介しました。ここには2人のスポーツにかけるアツい想いがあります。芝の上から白銀の世界へ。メダルを目指す2人を応援しましょう!
以下、2024年9月17日号「週刊ゴルフダイジェスト」の再録
しなやかなストイックさ(小須田潤太)

こすだじゅんた・オープンハウス所属。90年埼玉県出身。21年東京に陸上競技、22年冬季・北京にスノーボードで出場
“きっかけ”をパラアスリートの第一人者、山本篤からもらったという小須田潤太。21歳のとき、働いていた引っ越し業者のトラックを運転中、自損事故を起こし、右足大腿部を切断した。
「その場で右足を失ったことはわかったんですけど、まず何よりお客さんの荷物が心配で。痛みを通り越して苦しかったけど、絶対ここでは死なないと思えたんです」
入院中もリハビリも、つらかった記憶はないというが、「義足がなかなか合わなくて。同じ会社の事務職に戻ったんですけど、松葉杖で2年間生活していました」と話します。
義足を真剣に探したのは15年、PT(理学療法士)に薦められ山本のランニングクリニックに参加するときだ。ここで“生の”山本を見てパラアスリートになることを決断。スノーボード(スノボ)を始めたのも山本の背中を追ってだ。
「篤さんが平昌を目指すと言うから、僕もやるしかないと。18年の大会に出て勝てなかったんですけど、人材もいなくて僕が若かったので代表チームに声をかけてもらい海外遠征に行き始めたんです」
陸上は練習がきついが、スノボは圧倒的に楽しかった。スノボでなら勝負できると思った。
「力を入れなくてもスピードが出るのも面白いし自分に合っているんです。それに無限に成功体験がある。滑っているだけでどんどんできることが増えていくのがスノーボードの魅力です」
16年秋にパラアスリートの転職エージェントの紹介で現在の会社に。東京では走り幅跳びと100m走に出場、冬も北京でクロス、バンクドスラロームに出場した。得意なのはクロスだ。ゴルフを始めたのも山本の誘いから。
「割と普通に当たって楽しかった。スノーボードは横を向いてやるから共通しています。地面を感じながら行うことが大事なのも同じ。ゴルフって、よく老若男女問わず、障害を問わずできると言いますけど本当にそうだと思います。僕は一人予約もよく使いますが、全然知らない人といきなりやっても、楽しい。かなり特殊ですよ。でも、ゴルフって難しさしかない。止まっているボールを打つのにね」と笑うが、最近では上達著しい。
ゴルフではティーチングプロ資格を持つ吉田隼人の背中を追っている。
「同じ障害のすごい人たちの姿を見られるのは自分にとって最大のモチベーション。僕の根底は“2番でいい系”の人間ですけど、やっぱり一番を目指さないと見えてこない世界があるのをパラアスリートになってすごく感じるようになった。何より本気でスポーツをしている人たちに出会えたのが一番よかった。最終的には人は人に惹かれ、自分も本気になれる。そういう意識が高い人たちと出会えたのが一番。もちろん、スポーツはやっていて楽しんですけれど。目標は2年後のミラノで金。ゴルフはパラ競技になるのを想定して今年からスイッチを入れます」
「人生、楽しいをずっと更新中です」という小須田潤太、34歳。メダルを引っ提げて、ゴルフ界に凱旋する。
自分を磨き続ける努力家(大岩根正隆)

おおいわねまさたか・ベリサーブ所属。80年東京都出身。22年冬季・北京にスノーボードで出場
小須田と同じスノーボードのパラアスリートである大岩根正隆は、同競技で日本初の上肢障害者だ。
高校2年のとき、バイク事故で右手を失った。バイクのレーサーが小さい頃からの夢だった青年は、肩を失う可能性を排除するため右上腕を切断。自信があったバイクもバレーボールもできなくなった。片手でも乗れるマシンを作ってサーキットに持ち込んだが認めてもらえなかった。
「自分ではできると思っても周りは受け入れてくれなかった。人前に立つ自信すら持てなくなった。体を見られて何か言われているように感じ、勝手に自分の世界を作って。引きこもりでした。人生終わったと思ったし、自ら終わらせようと考えたこともあります」
自信を失わせたのが人なら、回復させてくれたのもまた人だ。友達、病院で出会った人の応援で一歩一歩気持ちが強くなった。片手マヒになっても強い気持ちでリハビリするマジシャン、健常者のミュージシャンには「一人では何もできないこと」を教わった。
スポーツともまた“出会い”だった。20歳前後で偶然始めたスノーボード。二度とやりたくないとまで思ったが、仕事の先輩を見返してやろうと、こっそり練習を重ね、ある大会で3位に入る。そこでまた偶然ジャンプ台を見つけてジャンプトリックにハマった。自分でジャンプ台をデザインし、パラ競技にするための活動をしたこともある。
「健常者のなかで袖をブラブラさせながらぶっ飛ぶ姿は盛り上がったけど、表彰台は遠かった。28歳で引退しました」
ゴルフは31歳で始めた。障害者ゴルフの大会にも出るようになったが「総合部門」で最下位に。
「パラアスリートの先輩にゴルフを全然面白そうにやっていないと言われて。薦められて18年に障害者スノボの全国大会に出たら優勝したんです。自分のスノボへの気持ちを押し殺していたんですね」
北京ではクロスとバンクドスラロームに出場。今はクロスがメインだ。
「もともと苦手でした。強い選手はほとんど腕があり、スタートも義手を使って両手でバランスを取りながらできます。僕はなかなか結果が出なくて……でも自分にしかできないものを見つけることができた。自分の得意な場所で追い抜くんです。ウェーブセクションで登ったり下ったりする動作で加速させトップスピードを作るのが僕は誰よりも速い。そこで自信を持てました。これは腕がないからこそできた技です」
今は“二足の草鞋”生活で、ゴルフの調子も上がってきた。
「ゴルフで世界に行きたい気持ちも残っていて、僕なりのクロストレーニングになっています」
19年からはアスリート雇用で現在の会社に。本気でやりたかったら自分でお金を作るべきだと大岩根。「僕も人の紹介や自分で足を運んだりして探してきました。お客様窓口から連絡を入れた会社もあります。でも、最終的にはコミュニケーションです」
「ゴルフはルールのなかで、どんな体でもスコアがいい人が勝つという表裏がない感じがいい。僕は健常の人とゴルフすることのほうが多いけど、一緒に同じ世界で楽しめる、笑える、悩めるというのがゴルフの魅力です。でも、止まっているボールを打つのは難しい。絶好調のときにベストスコアが出るわけではないし、正解がないスポーツだと思います。1打1打状況は違いますしね」
人と会話するのが苦手だったという大岩根。今の自分を作り上げてくれたのもスポーツの力だという。
「最大のライバルが最高の友達であることも多いんです。それに、挑戦し続けると結果がどんどんつながっていくんだなと。18ホール回っていて毎回、自分の人生みたいだと思います。いいときも、とことん悪いときもある。でも自分の限界を超えられます。スノボでは、ミラノに出場して金メダルを取る、ゴルフでは、来季は選手として海外の試合を目指します」
大岩根は、「自信」を積み重ねて、自分を形作っていく。
PHOTO/Yasuo Masuda、本人提供


