過日、帝国ホテルにてジャンボ尾崎こと尾崎将司(本名・正司)氏の「お別れ会」が営まれたが、意外と知られていない裏話を少し……。
画像: ジャンボ尾崎のお別れ会に1000人もの献花者が参列(撮影/有原裕晶)

ジャンボ尾崎のお別れ会に1000人もの献花者が参列(撮影/有原裕晶)

同会には関係者1000人もの献花者が参列したが、その顔ぶれが凄かった。野球人では王貞治、山本浩二、田淵幸一、江川卓、原辰徳ら。芸能界からは松山千春らが顔を揃えた。ゴルフ界では青木功をはじめ、中嶋常幸、樋口久子、岡本綾子らのレジェンドのほか現役の石川遼、弟子の佐久間朱莉らプロがズラリ。JGA、PGA、JGTOの役員ら、ゴルフ界から総出のよう。

ここから、尾崎氏は社交好きだったと思われそうだが実態は全く逆。

「社交性はゼロでした。家にこもって何かに熱中するのが好きで、晩年はほとんど外に出ていない。それであれだけ人が集まるというのは、前人未到の実績ゆえでしょう」とは尾崎氏に近い友人の弁。

弔辞を読んだのは長く尾崎氏のエースキャディだった佐野木一志(キャディの時は計至)氏。亡くなる直前、痩せた体で「ダイエットに成功したぞと笑いました。私がいくまでセルフカートでプレーして待っててください」と結んだ。氏の墓はすでに故郷宍喰の尾崎氏の墓の30ヤード先に建ててある。

弔辞を読んだもう1人、青木功は「生涯のライバル」と。青木は野球界から転身した尾崎氏を見て発奮し、遅咲きの花を咲かせたのは事実であろう。しかし、尾崎氏はずっと「ライバルはニクラス」と言っていたし、青木の80歳のお祝いでスピーチした時は「僕のライバルはタイガー」とジョークを飛ばしたが、案外本音だった。

中嶋が尾崎氏からかけられた最初の言葉は「体を鍛えるんだぞ」。「心技体」ではなく、尾崎氏の持論である「体技心」が伝授された一瞬ではなかったか。尾崎氏との戦いで印象に残っているのは、1990年、日本オープン3連覇を阻んだことと言う。「悔しかったはずなのに、それをのみ込んで『おめでとう』と称えてくれました」。

喪主の長男・智春氏は「生前、最後に言ったのは『悔いのない人生だったよ』でした」。祭壇に飾られた写真は、2002年、ANAオープンで当時最年長となる55歳で優勝した時のもので、尾崎を追っていた岩井康博カメラマンが撮影。「正面からの目線をこちらにくれた会心のショットでした」。

ゴルフ界にさんぜんと輝く星がひとつ消え去った──。

※週刊ゴルフダイジェスト2026年4月14日号「バック9」より


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