今年、石川遼が参戦していることでも話題の米下部「コーンフェリーツアー」。バハマから始まり、2月から3月初めにかけてコロンビア、アルゼンチン、チリと南米を舞台に熱戦が繰り広げられた。今回、ブラジル在住のスポーツジャーナリスト・大野美夏がコロンビアとチリの試合に潜入。日本では情報の少ない貴重な大会の様子を3回にわたりレポートしてくれた!

ラテンアメリカスウィング

さて、KFTの前半はラテンアメリカスウィングだ。PGAツアーでは舞台にならない南米を渡り歩く。アメリカ本土とは違う気候、芝生、景色、食べ物、時差とハードなシチュエーションの中、結果を出さなければならない。

お膳立ては何もなく、自分で考え、自分で動くしかないのだ。

2部といっても、コースはどこも難易度が高い。特に日本ツアーとの大きな違いは、ピンの位置だ。初日から、グリーンのすごく奥かすごく手前の端から3ヤード、4ヤードのところに切ってある。まともにピンが狙えないポジションばかりなのだ。ショットで高い正確性を持つか、アプローチでリカバリーするか、綿密な戦略を立てないとすぐにボギーを叩いてしまう。また、ピンの位置がアンジュレーションがきついところだったりと、パッティングも難しく簡単にバーディを取らせてもらえない。

KFTでは、どの選手も飛ぶし、狙えるし、アプローチもパターも上手くて当たり前。これだけの技術力を持った選手たちの集まりでは、最後の数ミリの違いだけで、順位を左右することになる。

大西選手と杉浦選手が出場したコロンビアの首都ボゴタのアスタラ・チャンピオンシップでは、標高2800mのアンデス山脈の盆地のため赤道近くにもかかわらず朝晩は10度ほど下がり肌寒く、日中は晴れると25度と寒暖の差が激しかった。しかも、山の天気は変わりやすく、午後はほぼ雨が降る。大会中も連日午後は2時間ほど土砂降りのサスペンデッドで、スケジュールが全部終わらず翌日の早朝から試合が再開となっていた。選手たちは朝4時に起きて、調整をしなければならなかった。しかも標高が高いため、ボールがよく飛ぶ。いや、飛びすぎるため、常に番手を下げて調整しながらのショットを強いられた。グリーンは柔らかく、スピンがかかりすぎるくらいだった。杉浦選手は予選落ちになり、大西選手は予選通過し、最終日には5アンダーの「66」でフィニッシュした。

画像: 最終日「66」で回りトータル4アンダー53位タイでフィニッシュした大西魁斗。開催コースのカントリークラブ・デ・ボゴタは1917年開場の格式高いクラブ。メンバーの日本人も応援に駆け付けた

最終日「66」で回りトータル4アンダー53位タイでフィニッシュした大西魁斗。開催コースのカントリークラブ・デ・ボゴタは1917年開場の格式高いクラブ。メンバーの日本人も応援に駆け付けた

そして、アスタラ・チリ・クラシックが開催されたチリの首都サンティアゴは一転して乾燥地帯。年間を通して雨がほとんど降らない地域だ。それゆえ、ぶどうの栽培に適していて、ワインの名産地なのだが、乾燥し過ぎている。グリーンはカチカチで、ボールは止まらない。午後になると風が強くなっていた。コロンビアもチリも、どちらも砲台グリーンでピンが端に切ってあるため、ちょっとした狙いのズレでボールはグリーンに乗らず、こぼれやすかった。

2日目18番で垣間見た石川遼の真髄

若い時にあったがむしゃらさ、怖いものなしの勇気は大事だが、時にはそれこそが敵になるのがゴルフだ。

感情をぶつけ勝利してきた石川選手を見て、観客は歓喜したわけだが、一方でうまくいかなかった時、観客はため息だけをぶつけてきた。スター選手であるがゆえ付きまとうプレッシャーである。

強い石川遼が見たい。私たち観客というのは勝手なもので、やはり選手が静かながら感情をむき出しにするところも見たいのだ。

そんなシーンをチリで見ることができた。2日目、石川選手は予選突破ギリギリのラインにいた。後半は風も強くなり、あまり調子は良くなかった。判断ミスとラインの読み違いでボギーを出していた。海外の芝生は、毎試合変わり、ボールの転がりや感触も変わってくる。一瞬の判断がミスに繋がり、スコアを縮めることは容易でない。

後半になるとじわじわと後のないところに追い詰められていったが、なかなかバーディが来ない。1打の差で予選落ちになる崖っぷちにまできてしまった。ついに最終ホールとなった。パー5で、まずは渾身のドライバーショットが決まった。グリーンを狙うアングルも良い。そこで彼が手にしたのは3番ウッド。放たれたボールは一直線にグリーン右奥のラフまで届いた。実に260ヤードを打ち切った。ここでまさに石川遼らしい、ふわりとした柔らかいアプローチでグリーンに落とし、ボールは下りにもかかわらずゆっくりとピンに向かっていき、見事50センチほどのところで止まった。18番ホールには観客席が設置されていたが、観客がこのパーフェクトなアプローチショットに惜しみない拍手を送った。

画像: 2日目の18番パー5、池を避け2打目をグリーン右奥まで運び、起死回生のバーディにつなげた石川。薄氷の予選通過を果たすと、3日目5アンダー、最終日1アンダーとスコアを伸ばし、トータル8アンダー、26位タイと健闘した

2日目の18番パー5、池を避け2打目をグリーン右奥まで運び、起死回生のバーディにつなげた石川。薄氷の予選通過を果たすと、3日目5アンダー、最終日1アンダーとスコアを伸ばし、トータル8アンダー、26位タイと健闘した

「絶対にここを落とさない」と決めて、3番ウッドを手にしたと言っていたが、あの時の石川選手には、冷静さの中に燃え上がる情熱と決意があることがはっきりとわかった。やはり観客はこういうプレーが見たいのだ。これによりバーディを死守し、予選突破を決めたのだった。

あの時、石川遼の真髄が見えた。なにがなんでも、この1打で上に上がってやるという決意。そこにはスターの石川遼ではなく、PGAツアーという標的に向かって這い上がっていこうという泥臭い石川遼がいた。

そんな彼を追っかけていたチリ人の男の子がいた。

「Ryoのボールをもらいたい」

目をキラキラさせていた子は、試合終了後、見事ボールをゲットして、ご機嫌だった。南米の空の下、きっとあの子は一生忘れない感動を得たことだろう。

画像: 念願のRYOのサインボールをゲットしたチリの少年

念願のRYOのサインボールをゲットしたチリの少年

若い頃はがむしゃらだったと石川選手は言うが、今も彼の心の情熱は燃え盛っている。

試合が終わった後も、わずかにドライビングレンジが開いている時間を気にして、走って練習に向かって行く後ろ姿は、今のままで満足しないという彼の変わらぬがむしゃらさを映し出していた。

>>後編へつづく

大野 美夏(Mika Ono Kibe)
スポーツジャーナリスト
岐阜県出身。立命館大学卒業後、JICA海外協力隊員としてブラジルへ渡り在住34年。ブラジル初の日本人女性スポーツジャーナリスト。南米サッカーの深層を追い続け、ブラジル代表をはじめ、FIFAワールドカップやリオ五輪など数々の国際大会を現地で取材。当時まだ14歳だったネイマールを日本メディアに初めて紹介するなど、現地に根ざした圧倒的なネットワークには定評がある。共著に『彼らのルーツ サッカー「ブラジル」「アルゼンチン」の代表選手の少年時代』。
サッカーを軸に、そこから繋がる他のスポーツ、教育や社会のありようまで、南米の「生」の姿を多角的に発信。「人に歴史あり」という好奇心を原動力に、スター選手から有名無名を問わず、一人ひとりの背景にある物語を等身大の視線で描き出す。
また、ゴルフ歴19年、USGAHCインデックス13.1のアマチュアゴルファーとしての顔も持ち、米PGA下部コーンフェリーツアーのプロアマ出場や、サンパウロ州ゴルフ協会クラブ対抗戦への参戦、PLゴルフクラブの女子キャプテンを歴任。1年中温暖な気候のサンパウロならではの週3回のラウンドを楽しむなど、ゴルフ愛はかなり強め。


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