過日、ゴルフ会員権ビジネスの先駆者、佐川八重子氏のお別れ会が行われた。
画像: ゴルフ会員権業の先駆者、佐川八重子氏

ゴルフ会員権業の先駆者、佐川八重子氏

その場所はつい10日ほど前にジャンボ尾崎氏のそれが行われた帝国ホテル孔雀の間。佐川氏の後を引き継ぐスタッフたちの矜持が見て取れよう。

佐川氏は1944年、8人兄妹の末っ子として生まれる。戦後の混乱期に少女時代を送った。文化服装学院を経て、1965年、会員権業の東洋ゴルフに入社し、日之出ゴルフへ。当時、日之出にいた先輩によると「事務員で入ってきたが、お茶くみに飽き足らない上昇志向があった」。その証言通り、1970年に桜ゴルフ創業。佐川氏と5人のスタッフ、女性だけでの船出。佐川氏、26歳の時だった。

当時の会員権業界は一部を除いて、「株屋が片手間にやる仕事」などと言われ、社会的認知は今ひとつ。佐川氏はそれを払拭しようと、それまでの訪問販売から、顧客に事務所に来てもらい、そのゴルフ場の情報、市場性などを開陳し、納得してもらう「コンサルティング営業」を開始。信用を得るためだろうか、会社を設立してから3度移転しているが、いずれも3丁目、4丁目、現在の5丁目まで銀座という看板を捨てていない。

小田急百貨店に営業所、伊勢丹新宿店に会員権相談コーナーを設立し、女性経営者のパイオニアとしての名前も、業績も上がっていく。

大きかったのは、父とも師とも仰ぐ元日本興業銀行頭取の故・正宗猪早夫氏と出会ったことだろう。同銀行取引先親睦クラブで佐川氏が初の女性会員だったことから声をかけてもらったという。ソニーの井深大氏、本田宗一郎氏、稲盛和夫氏らとも知り合い、財界の輪を広げていく。

東京ニュービジネス協議会・女性経営者委員会初代委員長に選ばれ、3年目に当時のサッチャー首相とセミナーを開催。その時の記念撮影にはいまの高市首相も。女性経営者の懇談会には石破前首相も出席し、お別れ会にも参列。

しかし、順風満帆だったわけではない。会社設立10年目にゴルフ場事業に失敗し、6億円の負債を抱えたことや2度のオイルショック。しかし6億円は14年かけて返済し、オイルショックも乗り切った。

仕事と趣味は不可分と、ある人から「三ゴの趣味」を勧められ、ゴルフ、囲碁、小唄をたしなむことになる。政治家・小沢一郎氏とは碁敵で、彼もお別れ会に駆け付けた。余談だが、当方の後ろに並び、剛腕と呼ばれた面影は消えて柔和な顔をしていた。

亡くなったのは昨年の10月だが、桜の季節を待ってのお別れ会。望んだように会場の外の日比谷公園には満開間近の桜が咲き誇っていた。

昭和の激動時代を生きた草分け女性が人生の幕を下ろした。 合掌 (特別編集委員 古川正則)

※週刊ゴルフダイジェスト2026年4月21日号「バック9」より


This article is a sponsored article by
''.