キャディからプロへ。13歳で踏み出したゴルフの道と「白人限定」の壁
82年チャーリー・シフォード
1922年ノースカロライナ州シャーロットで生まれたチャーリー・ルーサー・シフォード(Charles Luther Sifford/1922~2015)は13歳でキャディを始め、1ラウンド35セントとチップを貰うことができ家計を助けた。空いた時間にプレーをし、プロのクレイトン・フィフナーから指導を受けた。

71年日米対抗-左・B・キャスパー 右・尾崎将司
17歳の時にペンシルベニア州フィラデルフィアに移住。兵役の後、26歳でプロ転向。ネグロ・ナショナル・オープンに参加し、6回も優勝をした。57年のロングビーチオープンでは最終日64を記録してスター選手のビリー・キャスパー、ジーン・リトラーを排しての勝利だった。
PGAツアーに参戦していたが、正式にはツアー選手ではなかった。その理由は黒人だったからだ。58年オハイオ州アクロンのファイヤーストンCCでのラバーシティ・オープンに招待され、その時の同伴競技者は若きジャック・ニクラスでまだアマチュア選手だった。
全米プロ協会に「コーカソイド限定条項」があった。これは「身体的特徴に基づく人種分類」で「旧約聖書」に『白は光、昼、人、善で黒は闇、夜、獣、悪』とあり、つまり人種差別だった。
アメリカで公民権法が制定されたのは64年だが、黒人はバスでは専用座席、レストランもトイレも黒人専用、旅行も黒人が宿泊できるホテルなどのガイドブック「黒人ドライバーのためのグリーンブック(2018年映画「グリーンブック」が上映された)」があり、黒人は日常生活を送るなかでさまざまな制約があった時代だ。
「優勝しても君は呼ばれない」。マスターズから届かなかった招待状と匿名の脅迫
この条項が撤廃されたのは61年のことで黒人最初のツアーメンバーになった。67年グレーター・ハードフォード・オープンに勝利し、シフォードは「次のマスターズに呼ばれる」と密かに期待して待っていたが委員会からの電話はなかった。かつてマスターズに招待される条件のひとつに「前年のマスターズ終了から翌年のマスターズ前週までのツアー優勝者」という項目があったからだ。しかし、掛かってきた電話は「優勝しても君は呼ばれないよ」というものだった。もちろん誰が掛けてきたのかは不明のままだ。
2年後の69年ロサンゼルス・オープンではハロルド・へ二ングをプレーオフで破りツアー2勝目を挙げた。3日目の夜、泊っているホテルに電話が掛かってきた。受話器から聞こえてきたのは「もし、明日勝ってもマスターズに出られない」という内容だった。61年、初めてトーナメントに出場したときには匿名の電話で殺害の脅迫を受けたこともあった。
75年マスターズ リー・エルダー
マスターズに黒人選手が招待されたのは75年のリー・エルダーが最初だった。この時代、黒人はチケットを買うことはできず、当然だが試合の観戦もできなかった。共同経営者のクリフォード・ロバーツの「白人はプレーする人、黒人は働く人」という不文律によって支配されていたからだ。深南部ジョージアの白人の多くはこれらの事柄を不条理だ思う人は少なく日常的なことだと捉えていた。
2004年ゴルフの殿堂入り、14年にはオバマ大統領から大統領自由勲章を贈られている。シフォードは常に葉巻をくわえながらプレーして人気も高かった。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中







