「ここ1カ月は、本当にクレイジーだった」。PGAツアーのフェデックスカップ・プレーオフ第2戦「BMW選手権」を前に、ポイントランキング25位で会場のベルリーブCCに現れたライアン・フォックスは、少し疲れたような、しかし充実感に満ちた笑顔でそう切り出した。彼が口にした「クレイジーな1カ月」。先月の「全英オープン」で劇的なメジャー初制覇を成し遂げて以来、彼の人生は文字通り「一変」してしまったのだ。メジャーの頂点に立った男だけが味わうことのできる、栄光と、ドタバタと、そして心温まる故郷でのフィーバー。フォックス本人が明かしてくれた、クラレットジャグ(全英優勝杯)と巡る狂乱の旅路を紹介したい。

睡眠ゼロの逃避行。「巨大な2つの箱」と保安検査場

物語の幕開けは、日曜日の夜だった。

全英オープンを制し、記者会見やメディア対応、スポンサーへの挨拶など、すべての「公式行事」から解放されたのが夜の9時。そこから彼は、家族が待つアメリカのマイアミへ向かうため、月曜日の早朝フライトに乗らなければならなかった。

「バークデールで借りていた家を、朝の4時15分に出発したんだ。睡眠時間はゼロだよ。自分がどんな精神状態だったか、想像がつくよね」

フラフラになりながら空港のチェックインカウンターに辿り着いたフォックス。しかし、彼には重大なミッションがあった。バックパック、測定器(トラックマン)、ゴルフクラブのケース、スーツケースという大量の荷物に加え、彼の両手には「クラレットジャグ(本物)」と「レプリカ」が入った、キャスター付きの巨大なボックスが2つ握られていたのだ。

「これ、機内に持ち込めるかい? 下(預け荷物)に入れるには、ちょっと貴重すぎるんだ」とフォックスが尋ねると、カウンターの係員は怪訝な顔で「何が入っているんですか?」と問い返してきた。

「いや、実はこれトロフィーなんだ。全英オープンのクラレットジャグで、昨日僕が勝ったんだよ」

係員は「通常は事前に連絡をもらうのですが……いいでしょう」と許可をくれたが、本当の戦いはここからだった。

保安検査場では、「トレーに収まらないこの2つの巨大な箱は何だ?」と質問攻めに遭い、さらに機内へ乗り込む際には、乗客としての最大のプレッシャーが彼を襲った。

「僕は、飛行機に乗る時に他の人を待たせるのが大嫌いなんだ。みんな早く自分の席に座りたいだろう? でも、あの巨大な2つの箱をどうやって頭上の収納棚(オーバーヘッドコンパートメント)に押し込むか、必死だった。頭の中は『早く寝たい、水が飲みたい』でいっぱいなのにね(笑)。でも、今はもうどうやったら収納棚にうまく収まるか、完璧にコツを掴んだよ」

ちなみにマイアミ到着後、飛行機の中でわずか2時間しか眠れなかったというフォックスは、駐車場に止めてあった自分の車に乗り込み、そこからジュピターの自宅まで1時間半の過酷なドライブを強いられた。「あれは本当に楽しくないドライブだったね」と、彼は当時の絶望的な疲労感を苦笑いしながら振り返った。

ステーキハウスのテーブルに降臨したクラレットジャグ

画像: 愛おしいようにクラレットジャグに口づけするライアン・フォックス

愛おしいようにクラレットジャグに口づけするライアン・フォックス

なんとか自宅へ帰り着いた後も、彼とクラレットジャグとの珍道中は続いている。現在も愛車(BMW)のトランクにトロフィーを積んで一緒に旅をしているというから驚きだ。

「先週、スリクソン(契約メーカー)のスタッフと祝勝会のディナーを開いたんだ。彼らに『トロフィー、持ってこようか?』って聞いたら、『もちろんだ!』って。だからステーキハウスのテーブルのど真ん中にクラレットジャグを置いて、みんなでワインを注いで回し飲みしたんだ。あれは本当に最高だったね」

格式高き全英オープンの優勝杯をステーキハウスに持ち込み、勝利の美酒を酌み交わす。メジャー覇者だけが許される、最高にロックな特権である。

電撃帰国と、ご近所さんからの「ミートパイの奇跡」

さて、アメリカでの短い休息の後、フォックスはプレーオフシリーズが控える極めてタイトなスケジュールの合間を縫って、母国ニュージーランドへの電撃帰国を強行した。通常であれば、この時期に3週間ものオフを取る選手などいない。

「僕たちは今、フロリダ(ジュピター)にいる時間の方が遥かに長いけれど、それでも僕にとってはニュージーランドが『我が家(Home)』なんだ」

彼にはタイトなスケジュールの合間を縫ってでも、どうしても帰らなければならない理由があった。

「記憶が新しいうちに、母国のみんなの記憶の真ん中にあるうちに、ニュージーランドへ帰って『ちゃんとしたお祝い』をしたかったんだ」

金曜日の朝9時、長旅を終えてニュージーランドの自宅のドアを開けたフォックス。しかし、彼がひと息つく間もなく、わずか30分後に玄関のドアがノックされた。

「ドアを開けたら、近所に住むケータリング会社の女性が立っていたんだ。実は彼女、以前僕の子供の誕生日パーティーでケータリングを担当してくれた温かいご近所さんでね。彼女は空港のインタビューで僕が『ニュージーランド特有のミートパイが食べたい』と言っていたのを聞いたらしく、紙袋をいくつか抱えていてね。中には手作りのミートパイが4つと、夕食用に大きな燻製の魚のパイが入っていた。本当に嬉しかったよ」

世界中が注目するメジャー王者になっても、故郷へ帰れば「近所のゴルフのうまい兄ちゃん」として温かく迎え入れてくれる。人口の少ないニュージーランドならではの、親密で美しい絆の物語である。

歴史的偉業と、ラグビー仕込みの「ゾーン」

ニュージーランドのゴルフ史において、メジャーを制した選手は数えるほどしかいない。ボブ・チャールズ(1963年)、マイケル・キャンベル(2005年)、リディア・コー(3勝)、そしてフォックス。国全体にとって、彼の勝利がいかに歴史的で熱狂的な出来事であったかは想像に難くない。

街の中心部で行われたイベントには数千人のファンが詰めかけた。ニュージーランドが誇る伝説のヨットレースの優勝杯「アメリカズカップ」の真隣にクラレットジャグが並べて展示されたことは、国全体を巻き込んだ熱狂のスケール感を象徴していた。さらに、彼が自身のホームコースのプロショップにクラレットジャグを何気なく置かせてもらうと、メンバーたちが歓喜して写真を撮りまくったという。

この歴史的偉業を支えたのは、彼に流れるアスリートの血統だ。父はラグビーのニュージーランド代表(オールブラックス)のレジェンドであり、母方の祖父はクリケットの代表選手。フォックス自身も「ゴルファーというより、ラグビー選手のような体格をしている」と認める通り、その強靭なフィジカルから生み出される規格外のパワーが彼の武器である。

しかし、全英の上がり6ホールを支配していたのは、パワーではなく「究極の精神状態」だった。

「あのラスト6ホールは、まるで『幽体離脱(Out-of-body experience)』しているような感覚だった。極度の緊張の中で、ただ深呼吸をして、目の前の1打を打つことだけに集中していた。後で映像を見返すとすごく冷静に見えるけど、頭の中はどうやってあそこを乗り切ったのか、今でもうまく説明できないんだ」

スポーツ名門一家に育ち、数々の修羅場を見てきた男でさえ経験したことのない、真の「ゾーン」。その極限の集中力が、彼をメジャー王者へと押し上げたのだ。

激変した日常を受け入れ、さらなる高みへ

「今週も、ホテルから夕食に出かけるだけで5回もサインを求められたよ。もう『アンダー・ザ・レーダー(目立たずにひっそり行動すること)』は不可能になったね」

そう笑って肩をすくめるフォックス。時間管理の難しさや、盤外の騒がしさに戸惑いながらも、彼はこの「激変した日常」を誇りとして受け入れている。

「すべてが良い変化だよ。でも今は、目の前のゴルフに集中する時だ」

今週のBMW選手権。彼の目標は、上位30名しか足を踏み入れることのできない最終戦「ツアー選手権(イーストレイク)」への切符を掴み取ることだ。プロキャリアにおいて、彼はまだ一度もこの夢の舞台に出場したことがない。39歳を迎えるベテランが挑む、まさにキャリア最大の正念場である。

「順位の数字を計算し始めると頭がおかしくなるから、ただ良いゴルフをするだけさ」

クラレットジャグという重みと、故郷からの熱すぎるほどの愛を背負い、全英覇者ライアン・フォックスは、今日も静かにティーイングエリアへと向かう。

写真/R&A提供


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