9番グリーンでの抱擁と、リディア・コーからの「粋な贈り物」
ホールアウト後、9番グリーンには大勢の選手やキャディたちが彼女を笑顔で出迎えた。その中には、LPGA殿堂入りを果たしているレジェンド、パット・ブラッドリー(キーガン・ブラッドリーの叔母)の姿もあった。ブラッドリーと抱擁を交わした瞬間について、ノードクビストは「彼女の顔を見ただけで自然と笑顔になれた」と振り返る。
感情を揺さぶられたのはそれだけではない。同組でプレーしたアリヤ・ジュタヌガーンからは「最後のラウンドを一緒に回れて本当に幸せ」と声をかけられ、「1番ホールから泣かされてしまった」という。
また、彼女の引退に華を添える「粋な贈り物」があった。先日、リディア・コーから特別なヴィンテージ・シャンパンが贈られたのだ。そのラベルに刻まれていたのは「2009年」。単なるデビュー年だからではない。当時のアンナはフルカード(フル出場権)を持たず、金融危機で試合数が激減する中、家族のいないアメリカへ21歳で単身渡り、激しい孤独と戦っていた。そして参戦わずか5戦目にして「全米女子プロゴルフ選手権」を制するという奇跡を成し遂げたのだ。長年ツアーを共にしたリディアは、アンナの「泥臭い闘い」のすべてを知っていたからこそ、この年のボトルを選んだ。さらにホールアウト後には「2017年(エビアン選手権でのメジャー制覇)」のシャンパンも届けられた。仲間の歩みを敬愛する温かい心の深さが伝わるエピソードだ。
「一度も諦めなかった」──18年間の挫折と、怪我なきキャリア
輝かしいメジャータイトル(優勝3回)と、18年間で一度も怪我による長期離脱がなかったという驚異的な自己管理能力。 「信じられないことに、私は18年間のキャリアで、メジャー大会を欠場したのはたったの1回だけでした。そしてその唯一の欠場理由は怪我ではなく、離婚手続きを進めるためにどうしても外せない用事があったからだったんです」と彼女はユーモアを交えて明かしてくれたが、この驚異的なファクトこそ、彼女の徹底された自己管理とタフさの証だ。
彼女のキャリアは一見すると順風満帆で、恵まれたエリート街道を歩んできたように見えるかもしれない。しかし、その内実は決して平坦なものではなかった。
「私のキャリアは、右肩上がりの直線だったわけではありません」と彼女は語る。実は2012年から2013年にかけて、彼女は「本気でゴルフをやめてしまおうか」と悩むほど深いスランプと精神的な危機に陥っていた。そんな彼女をどん底から救ったのは、その年の夏にキャディとしてバッグを担いでくれた実の弟の存在だった。
「もし彼が来てくれなかったら、私は今ここに座っていなかったでしょう」 周囲の声に惑わされず、自分自身のプレースタイルと心に従い続けた18年間。
「私が人々に覚えておいてほしいのは、私が『決して諦めなかった』という事実です」
その泥臭い強さこそが、彼女を真のレジェンドたらしめた理由なのだろう。
2週間後の大舞台と、歩み出す「第二の人生」

来週7日から開催される「ソルハイムカップ」の欧州キャプテンであるアンナ・ノードクビスト
ツアープレーヤーとしての生活には幕を下ろしたものの、彼女にはまだ大きな仕事が残っている。2週間後にオランダで開催される欧米対抗戦「ソルハイムカップ」で、欧州チームのキャプテン(主将)としてチームを率いるのだ。
39歳で一線を退く決断について、彼女は飾らない本音を語ってくれた。
これまで遠く離れたスウェーデンの家族と年に1回ほどしか会えない生活を続けてきた彼女だが、昨年のスペインでのソルハイムカップが特別な転機となった。
「あの時、姪や甥たちが初めて『なぜ叔母さんがスウェーデンに住んでいないのか』『なぜいつも誕生日に居てくれないのか』を、ゴルフのプレーを通じて理解してくれたんです。それは本当に素晴らしい瞬間でした」
「私にとって、家族はいつだって一番の優先事項であり、ゴルフよりも前のめりに考えるものでした。これまで試合のために、姪や甥の誕生日もすべて犠牲にしてきました。これからは、良い姉、良い叔母、そして良い娘になりたい。そして何より、私自身の家族を持つチャンスを自分に与えたいのです」
これまでコース上ですべてを捧げてきた彼女が、これからは一人の女性として、大切な人たちと過ごす時間を歩み始める。その目に浮かんだ涙は、やり切った充実感と、次なる人生への希望に満ちていた。
写真/Getty Images
