ミズノ養老工場ゴルフ制作部・試作室の小原敏幸主事が初めて中嶋常幸と会ったのは、昭和60年の東海クラシックだった。

試作室というのはヘッドの原型となるマスターモデルをメインに作り出す同社のマル秘部署で、当然ながら関係者以外はオフリミット。その試作室で長い間 アイアンヘッドの試作に取り組んできた小原が、中嶋と接触を持ったのには大きな理由があった。

画像1: 中嶋常幸 プロモデル誕生秘話!
「TN-87」前編

同社には、 ウッドに関してはプロ専属の職人がいるが、アイアンに関してはいなかった。そのためプロからの依頼は一旦販促部へ伝えられ、そこでワン クッションおいて調査室へ伝えられるという仕組みになっていた。しかし仲介者が存在すると、聞き方や伝え方によってプロの本心が調査室ま で届きにくい。

そこでウッドに専属がいるのなら、アイアンにも専属を置こう。そうすれば、プロにジャストフィットしたクラブがつくれるだろう。その意図から小原が中嶋の専属に選ばれ、その第1回目の面通しを兼ねて会場へ赴いたということなのだ。

その初顔合わせで、小原は中嶋の使用クラブを見て、細部を頭に叩き込んで養老工場に帰ってきた。

「クラブを見たのは10分間ぐらい。そこで把んだ特徴を基に、クラブをつくってみた」

試作品はブリヂストントーナメントの会場で中嶋に手渡された。ところが中嶋はそれを気に入らなかった。「人伝てに聞いたところ『これ、誰がつくったクラブなの?』といっていたそうです」

皮肉といえば、皮肉。

が、以来、中嶋と小原の付き合いは続く。昨年、中嶋は海外遠征が多かったのであまり会う機会はなかった。一昨年までは試合のたびに小原は会場へ出かけ、そこでコンタクトをとりながら中嶋の意見を聞いて歩いた。

画像2: 中嶋常幸 プロモデル誕生秘話!
「TN-87」前編

その甲斐あってか、最近では中嶋も小原を信頼するようになり、アイアンづくりはすべて小原に任せるようになった。

「とにかく初めの頃は試作品を何度持っていっても試打をしてくれない。クラブをみただけで『ダメ』だと。そのうち、自分の求める形に近づいてきたのか 『だいぶ似てきた』とはいうものの、相変わらず試打をしない。このときは参った」

中嶋は、何故ダメなのかをいわない。そこで小原は、言外に「プロをもっと研究しろ」との意味が込められているのではないかと感じた。

「他のプロに尋ねてみたら『練習ラウンドについて歩き、プロの持ち球からクセから何でもいいから把握しろ。それがクラブづくりには必要だ』と。なるほどそういうものかと思った」

そのうち中嶋も試作品を試打してくれるようになった。また練習ラウンドでも使うようになった。しかし試合で使うようになるまでには、もっと時間を要した。

画像3: 中嶋常幸 プロモデル誕生秘話!
「TN-87」前編

「練習ラウンドで使ってもらい、自分には中嶋プロがナイスショットを打っているように見えるので、本戦でも使ってくれるものと思っていると『このクラブは大会では使わない』といわれたこともあった」

そのワケを聞けば、クラブに対する信用がない、との返事であった。

(1989年チョイスVol,48)

This article is a sponsored article by
''.