今週の月→金コラムは、2016年モデルのキャロウェイXR16、ピンGドライバーなどに見られる「空力」と、気が付けば、いつのまにかドライバーの長さが45インチを越えた「長尺」。

まだ42.5インチが基準で、43インチはやや長め。そんな時代に44インチにトライし、見事成功を収めたのが「プロギアμ240」というカーボンヘッドのドライバーだった。

「我々は、後発メーカーなのだから、他と同じことをやっても活路はない」
クラブ設計家・竹林隆光とプロギアのデザイン担当後藤照雄氏の発想力がなかったら、ドライバーの進化はここまで急激であっただろうか・・・・。

画像: デザイナーの後藤昭雄氏(左)と設計家の竹林隆光氏。プロギアのアイアン、500シリーズ以来のコンビだ。

デザイナーの後藤昭雄氏(左)と設計家の竹林隆光氏。プロギアのアイアン、500シリーズ以来のコンビだ。

1986年9月――。プロギアから「ミュー(μ)240」というドライバーが発売され、このモデルによってプロギアは、一気に全国区ブランドにのし上がった。

μ240は44インチを基準とし、セミラージヘッドのカーボンヘッド。シャフトは55グラムの軽量カーボンシャフトが装着されていた。ヘッドスピードアップに加え、飛びとスピン量の関係まで踏み込んだドライバーだった。

このドライバーを開発する際に心配したのは「伝統の壁を破ることができるか」ということだった。クラブ業界は保守的である。そして、ゴルファーが持つ心の壁を破れるか。クラブというのは「伝統」がとても重んじられていたためだ。

ところが蓋をあけてみると、それはすべて杞憂だったことがわかる。μ240のヒットをきっかけに、他社も「長尺カーボン」に参入し、市場が出来上がった。ただプロギアは「44インチ」を長尺ではなく、新しいドライバーの基準と考えていた。

発売から3年が経ちμ240は、部分的な改良を受けることになった。モデルチェンジは外観上は従来モデルとほとんど変わっていない。5メートルも離れてみたらどちらが、新モデルで、どちらが旧モデルか判別できない。それぐらい外観の変化は緩やかになっている。

横浜ゴムスポーツ事業部開発室に「ポルシェ911」の新旧モデルの写真があった。1枚は25年前のデビューモデル、もう一枚は1989年モデルの写真である。2枚を比較してみると、四半世紀を経ているにもかかわらず、外観的にはほとんど変わっていないことに気づく。

画像: 89年製(上)と64年製の初代ポルシェ。外見からはほとんどその差がわからないが、中身は大きく変わっている。

89年製(上)と64年製の初代ポルシェ。外見からはほとんどその差がわからないが、中身は大きく変わっている。

ポルシェは25年間でその中味、性能は劇的に変化した。常に自動車技術のトレンドセッターであり続けた。しかし、外観的な基本デザインはほとんど変わっていない。自分たちの哲学を変えていないということだ。

「メーカーとして従来主張してきたことをあっさりと捨ててしまうのが、日本的なモデルチェンジです。しかし我々としては、何らかの技術革新、性能改善を伴ったものが本当のモデルチェンジであり、それを伴わないものは単なる外観チェンジに過ぎないと考えています」

(1989年チョイスVol.49)

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27年前に描かれていた飛びの未来図!その②予想的中!1990年代には45インチが「標準」になる

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27年前に描かれていた飛びの未来図!その③風洞実験でわかった!ヘッドスピードがアップする形状

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