英国人アーサー・H・グルームによって六甲山頂に最初の4ホールが誕生したのは明治34年、2年後には9ホールに拡大された。日本のゴルフは9ホールが完成した明治36年(1903年)を起源としてとしている。
冬季になると六甲山頂は寒冷と積雪により12月から3月までクローズとなったが、冬でもゴルフが楽しめるようにと、創立委員のひとりウィリアム・ロビンソンが神戸郊外魚崎町横屋に、6ホールの横屋ゴルフアソシエーションを造ったのが日本における2番目のコースとなり、その後、移転のため鳴尾ゴルフアソシエーション、鳴尾ゴルフ俱楽部へとつながっていった。
明治39年には、神戸同様に貿易港だった横浜で、居留外国人の娯楽のために作られた根岸競馬場内に9ホールのニッポン・レース・クラブ・ゴルフィング・アソシエーションが誕生している。
大正2年8月には長崎県営施設として、やはり9ホールの雲仙ゴルフ場が、香港など東洋に暮らす欧米人にために造られた。雲仙の温泉リゾートとしては大正初期、19カ国3万人以上が訪れたという記録が残る。
日本のゴルフは、居留している英国人によって始められたが、日本人による日本人のためのゴルフ場は大正3年、東京郊外の駒沢村に誕生した東京ゴルフ俱楽部が最初だ。大正11年4月19日には、日英国両皇太子の親善ゴルフが行われている。
大正11年2月になると本格的18ホールの程ヶ谷カントリー俱楽部が創設され、昭和の時代に入ると、各地にゴルフ場は増え続け、昭和12年には73コースとなったが、昭和18年頃から戦局の影響を受け多くのゴルフ場が閉鎖、解散を余儀なくされた。
また広大なゴルフ場は軍部による徴用の対象になり、飛行場や耕作地などに転用され、藤沢CC(神奈川)や武蔵野GC六実(千葉)のように消滅したコースもあった。
「明治・大正」開場の現存する主なコース
●神戸ゴルフ俱楽部(明治36年)
18ホール/4019y/パー61
●雲仙ゴルフ場(大正2年)
9ホール/3015y/パー36
●富士屋ホテル仙石GC(大正6年)
18ホール/6651y/パー72
●旧軽井沢ゴルフクラブ(大正8年)
12ホール/3986y/パー48
●鳴尾ゴルフ俱楽部(大正9年)
18ホール/6564y/パー70
●垂水ゴルフ俱楽部(大正9年)
18ホール/5955y/パー70
●茨木CC東コース(大正14年)
18ホール/6751y/パー72
●宝塚ゴルフ俱楽部(大正15年)
18ホール/6185y/パー70※旧コース
(ゴルフダイジェスト刊「美しい日本のゴルフコース」)