昭和29年後半から昭和32年まで続いた爆発的な好景気は初代の神武天皇(紀元前660年)以来、経験がないという意味で“神武景気”と名前がつけられた。その背景は朝鮮動乱の特需によるものだ。
昭和33年から昭和36年の4年間は、先の神武景気の31カ月を上回る好景気期間が42カ月続いたことから、神武天皇よりさらに遡り「天の岩戸に隠れて以来」の好景気ということで“岩戸景気”と呼ばれた。
カナダカップ優勝により湧き起ったゴルフブームは、試合が昭和32年10月下旬の出来事だったことから、実質として昭和33年以降の現象になる。
神武・岩戸の好景気により、サラリーマンなどの収入が増加し、国民に「中流意識」が広がり、スーパーマーケットなど大型店舗の出現によって大量生産、大量消費の時代に突入していった。
昭和34年の国民総生産(GNP)は前年度比17.5パーセントと戦後最高の数値を記録している。
さらに、昭和39年に東京オリンピックが開催されることが決定すると、昭和37年後半からオリンピック開催のため交通網の整備、競技施設の建設、首都高速道路、東海道新幹線などによる建設需要、そして観戦のために一般家庭によるテレビ受像機の購入などの個人消費も高まっていった。
このような経済背景を追い風として人々の関心は余暇の過ごし方に向けられるようになり、その先にゴルフもあった。
ゴルフ場数は、昭和33年に100コースまで増えていたが、昭和36年には263コースに増加している。昭和36年嵐山CCの会員権は平日25万円で、当時、霞ヶ関CCのプレー代は全日3500円(税込)だった。
この時代に、ゴルフ場の設計を職業とする井上誠一、上田治、富澤誠造、保田与天、小寺酉二など多くの優れたコース設計家が生まれ活躍し、多くの名コースを生み出していった。
①の記事はこちら↓↓
日本のゴルフ史「113年」をタイムトラベル①/起源は1903年の神戸ゴルフ俱楽部