Vol.1はこちら
実際に子供をプロにした親たちの話
【名門ゴルフ部出身】丸山茂樹の場合
日体荏原から日大、まさしくエリートコースの王道を歩み、その間に37冠のアマチュアタイトルを奪取。早くからプロ向きの大器と目されていた丸山茂樹。これだけスケールが大きいと「天才」という言葉で片づけたくなるが、その裏にはやはり父親・護さんのバックアップがあった。早くからゴルフの才気に気が付いていた護さんは、茂樹プロが9歳の時から本格的に教えた。
理論ではなく、本能的に体で覚えるように仕向けた。しかし、成果を焦ってはいけない。子供は段階を踏んで成長する。それに合わせて、親は待つ我慢を持たなければだめだ
子供のペースに合わせるというのは楽なことではない。夕方の練習に付き合うには、父親も早めに仕事を切り上げなければならない。それだけの覚悟と経済的な余裕が必要となる。護さんは自営業だが、「その時間をきちんと働いていたら、何億円、何十億円にもなってたよ」と豪快に笑う。
護さんは、自らを教え上手と自負する。その自信がなければ良き指導者を見つけてあげ、フォローしてあげるのが親の務めだろうとも語った。
【研修生育ち】合田洋の場合
叩き上げ、研修生育ちの代表は合田洋プロだ。94年の日本プロで初優勝を果たした洋プロがゴルフを始めたのは中学2年のとき。その後、ゴルフ部のある日大一高へ進み、下宿生活、練習場でバイトをしながらゴルフに励んだ。ジュニアで活躍したので、日大にも進めたのだが、学費の余裕がないため進学を断念。迷わず研修生の道を選んだ。
父・茂さんが「今でもあの時に勝る喜びはない」と語るのが、洋プロが「経験に」と試しに受けた初のプロテストで合格したとき。「何かのスポーツで世に出てもらうことが、私の夢、目標でした。だから随分厳しく鍛えました」。その夢が実現したのが、プロテストの合格だった。
その夜、父は子を近くのうなぎ屋に誘い、酒を飲み交わした。「厳しく育ててきた日々を思い出したら、もう次から次へと涙が止まりませんでした」
心を鬼にし、我が子を研修生という状況に飛び込ませた父の思いも熱い。
厳しいことを言うが、その夢は甘くない
トッププロの室田淳は日体大ゴルフ部の出身だが、卒業後は練習場で研修生の経験もある。そんな室田が語った。
日本の場合、ジュニアの環境が大きく変わらない限り、日大を中心とした学生ゴルフからの道も、ゴルフ場を中心とした研修生からの道も現状と変わらないと思います。ネックは日本のゴルフはお金がかかること。ですから、お金に余裕がない家庭は研修生の道を選ぶしかない。どんなに学生のほうが多くの競技会を経験できるので有利だといっても、いけないですから。
さらに続ける。
ジュニア=お金持ちのスポーツという現状が変わればいいのですが、広い土地のない日本ではまだまだ難しいかもしれません。ジュニアで活躍した選手が研修生を経てプロになる例が、もっと増えるといいですね。ゴルフに関しては中学・高校で2年間やって覚えたことを20歳過ぎて身に着けようと思ったら5年はかかります。それくらいジュニア時代は大事だと思います。
子供の夢を応援するのが親の務め
子供を導いていくのも親の務めだが、同時に子供の夢を応援し、見守っていくのも親の務め。親の過度な期待を背負うと子供はつぶれてしまうかもしれない。
「私、絶対にプロゴルファーになりたい!」
この気持ちを大切にしてあげたい。
一部引用/1995年月刊ゴルフダイジェスト1月号「子供をプロゴルファーにする方法教えます」より