世界最強クラスの選手がコブラを愛用していた
タイガー・ウッズがプロ転向後初めてのマスターズで記録づくめの優勝を飾ったのは1997年。当時彼は特定のクラブメーカーと契約していなかったこともあって、クラブセッティングはバラエティに富み、ドライバーはキングコブラツアーメタルだった。ついでに他のクラブを見てみると、スプーンはタイトリスト、アイアンはミズノ、ウェッジはクリーブランドを愛用していた。
ドライバーは学生時代の一時期、テーラーメイドのバーナーなどを使ったこともあったが、エースのコブラはプロ入りしても変わらなかった。ただ、彼が使っていたのは市販モデルとは似て非なるものだった。本来このモデルはボアスルーではない。しかしタイガーはネックの穴をソールまで貫通させ、シャフトはダイナミックゴールドを愛用していた。
奇しくも、当時グレッグ・ノーマンもまた、エースはキングコブラだった。またこの頃世界ドラコン選手権で4連覇を達成したジェイソン・ズーバックの武器もコブラだったこともあり、コブラのメタルはこの時代、”パワーヒッター御用達”として知られていた。
タイガーがマスターズで優勝すると、アマチュアゴルファーからの問い合わせが殺到。同社ではすでに、メタルの時代は終わったとして生産を中止していたが、ビジネスチャンスとばかりに復活させ、1997本限定で復活させている。
だが、メタルの延命にはつながらず、この頃には米国でも多くのメーカーがチタンへとシフトしていた。タイトリストもこの年、チタンヘッドのプロモデルとして975Dチタンを開発している。メーカー色同様にオーソドックスで、ヘッドは洋ナシ型でネックも長く、パーシモンヘッドの延長戦上にあった。
満を持して登場したモデルだけにプロの信頼を得るまでに時間はかからなかった。7月の全英オープン(ジャスティン・レナード)、翌月の全米プロ(デービス・ラブⅢ)とメジャー連覇。やがてタイガーも使うようになり、時代は完全にチタンへと移っていった。
これより以前、タイトリストはどちらかといえばアイアンの評価が高かったが、ドライバーもそれに並ぶ信頼を獲得したという意味でも975Dの存在は大きかった。
メタルからチタンへ。この過渡期はちょうど世界最強の新旧交代の時期と重なるという点でも、キングコブラと975Dの戦いは名勝負だった。
しかしまたまた奇しくも、最強プレーヤーたちが飛びを競ったこの2つのブランドは21世紀に入ると同じアクシネットグループの傘下で勝負を続けることになる。それから約10年後、コブラはアクシネットを離れてプーマの傘下となるが、存在感は変わっていない。
文/近藤廣
(月刊ゴルフダイジェスト2014年8月号より)